2005年(平成17年)5月10日号

No.287

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自省抄(29)

池上三重子

    3月31日(旧暦2月22日)木曜日 晴

 「明恵上人」白洲正子著、いちおう今朝終わる。ああ面白かった、楽しかった。白洲正子さんの遊鬼にあそばせてもらった。西行から明恵へと夢のようにすぎる時々刻々の充実感は、「生けるしるしあり」の実感よ。昨日も一日中明恵上人を読み、気分快々に夕べを迎えたのだった。今にしてこの書に遭うもご縁か。読み了えて名残り惜しさ津々の感慨は、いとおしい程の我が心底からの上人との訣れといおうか。
 明恵上人は慕わしい。傍らの枝に数珠と香炉がかけられ、樹の下に高下駄−樹上座禅の絵で特異の僧と感じていたが、出家者の中で最も釈迦に近い一人ではなかろうか。
 透明な仏への、いや釈迦への信は仏道をこえて殆ど同化、埋没、一体感をかもす。
 高山寺の師の御坊は仏道修行。仏に身をささげたくて目を鼻をと思うが、経文を汚すことを畏んで耳をたてまつり、「耳無し高弁」と書き遺している。明々朗々の仏心の僧。明恵はん、と今も地元の人々によびつがれているという。
 髄にしみる本であった。
 上人に会い媒体者白洲さんに会い、この女性何者ぞと思うとき、かつて駐米大使白洲次郎(?)なる人物の夫人では? はたまたライシャワー大使夫人のことまで連想されてくる。荒唐無稽の記憶であり連想であろうと、ペン持つ私の心地だ。
 快い疲労感が今日の、今後への暁光。私よ励もう、楽しもう、明日から四月! 身の震うような瑞々しい月迎えの胎動といえようか。
  あかあかや あかあかあかや あかあかや
  あかあかあかや あかあかや月
 上人の歌は上人の心、上人の心は上人の生命。月は同胞だった。
 ほんとによかった、いい本に出会えてよかった。上人が修行した和歌山県有田の白上の峰付近には、「あかあかや月」の心根が今も息づいているのではあるまいか。
 一昨日か、新聞に幻灯舎刊『半島を出よ』の書名とともに著者・村上龍の文章の一節がのっていたが、全く私の未来を描く心象と同一だったのだ。嬉しさと、寂しさと否定したさがいりまじった日本よ。愛する日本よ毅然たれ、侵される勿れ……と祈った。
 日本は倭しうるわしの国
 豊葦原の千五百秋の瑞穂の国
 私の愛しやまぬ神ながらの国
 大好きな御祖方のやまとごころの国
 他のくにのことは知らないが、古事記も日本書紀も知らないが、伝統は神話のながれを底敷に、うまし国の千五百秋の瑞穂の国ではないか。それを活かすか殺すかは、われらの心ごころ、と私は思う。
 一貫しての思いといおうか。
 右顧左眄はむろん大いにありのふらふらながら、どこかに貫く一筋が通っているようだ。表現力の乏しさ、勉強の貧弱さや生来の凡庸さが残念だが、残念なりの私の想に相違はない。
 さ、私なりに「あかあかや」でいこう。あかあかやの一期一会、いいではないか。若々しい弾力を感じさせて八十一媼、今ここに精神健康なり。全介護の寝たっきり仰臥の身ながら、気力みちみちて退屈しらず。心健全なり、健康なり! その意気でとおしましょう。
 ああ、もう五時半?
 何とすみやかな時々刻々の歩みだろうと詠嘆する我がこころ弾みは、例によって生き甲斐惻々、生けるしるしあり……の実感よ。
 白洲明恵上人は芯からの私の生のとも。「仏だけが同胞の同行者で絶対他なし」の、清沢満之のことばを拝借せずにいられない。
 平易なことばで三十一文字が歌になっているから暗誦もすらすらいきそうだが、それは心だけの域を出ることのないうつつびとの私。残念だが諦めざるをえない。
 小学四、五年生くらいまでに、意味は解らなくても誦んじる機会にめぐまれていたならなあ。愚痴たらたらよ。
 辛うじてとどまる一首を書きとめよう。
  雲を出でてわれにともなふ冬の月
  風や身に泌む雪やつめたき
 ひらがなも漢字も私が勝手に書いているのだが、上人は恕して下さるに違いない。
「山のはにわれもいりなむ月もいれ」と詠み、終わりは「かたりあかさん」となっているようだが、残念ながら記憶にとどまっていてくれない。
 昼の献立放送も「あらっ、もうそんな時間?」と聴いたが、夕飯献立放送もまた同じだ。アナウンスは、松尾こうさんなり。
 本当にほんとうに、どうしてこんなに恵まれ心地を頂くものか! 目に指に耳に、感謝いっぱいだ。
 母よ!
 あなたへは、唯々不肖の子でありすぎましたと詫びて悔いて、来世あらばと願いたくもなりますが、現実は今日も明恵上人を、歌を、じっくり味わいつつ堪能させてもらったのです。関祥子歌人が在世なら、この話もあるいは交わせたかもと、偲ぶばかり。彼女は才人だった、心のうたを作ることのできる稀な人だった―互みに語り合う誰もいない寂寞を折々にねりこみながら、一日の流れは読みもっぱらですごしました。
 月を花を鳥を、木を山を友とする明恵は、西行よりもなお私には親しみを覚えます。杳いよき伴を拝受できたのですね。一首一首に隔意ないこのほわほわ心地は、抱きしめたくなる程です。
 今夜も夢見にお待ちいたします。
 配膳ですから擱筆しますね。



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