2005年(平成17年)3月20日号

No.282

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安全地帯(104)

信濃 太郎

 それでも人生にYESと言おう

 夫妻でケニヤで二つの幼稚園を経営、ケニヤの子供のために活躍している市橋さらさんの「赤道の国で見つけたもの」−アフリカの子どもたちと共に生きて 」(光文社)を読む。本に一本の筋が通っている。「それでも人生にYESと言おう」。夫妻はどんな状況が目の前に現れても、そこから逃げずに、それを引き受け「NO」といわず、「YES]といって生きてきた。このような若者もいるのに嬉しく思う。
 さらさんは12歳の時、小学校の卒業文集に「世界のどこかで、人々を助ける仕事がしたい」と書く。22歳ではじめてアフリカを訪れ、32歳から家族とともに ケニヤに移り住む。夫の隆雄さんはスポーツ万能の勉強家。「自然のなかで、自然と共に生きる人生しか残されていない」と農業を学ぶため三重大学の農学部に入学。友人の進めで青年海外協力隊へ応募、自分に課した「危ないと思う道をあえて選ぶ」を実行、社会主義革命が起きたばかりのエチオピアへ農業指導へ出かける。身が危険だというので一年足らずで帰国する。二人は静岡新聞元記者、星野芳樹夫妻が設立した「 ケニヤ・スワヒリ語学院」(星野学校)で運命的に出会い、1980年結婚する。
 夫妻は「アフリカの人と共に生きたい」と願ってケニヤで暮らすこと16年。家族は長女ハンナ(20)長男ヨシュア(17)次男エリヤ(15)次女リベカ(9)養女、三男ノア(8)養子の7人家族である。養子縁組の話は夫妻の生き方を端的に物語る。キューナ幼稚園は1997年、キューナ教会の付属として開園。生徒数120名、アメリカ、イギリス、日本など25ヶ国の子供たちがいる。もう一つがスラムにある2003年1月開園のコイノニア幼稚園である。16人から始まって今の生徒数は30人。キューナでは友人の反対を押し切って給食を始める。「どんなものでも食べることができたら誰とでも友達になれます」「食べ物の好き嫌いのある人は、人の好き嫌いのあるんですよ」は至言である。給食を拒否する女の子に断固としてねばり強く食べさせるのは頭が下がる。コイノニア幼稚園の実態は日本では想像すらできない。最初に教えたことが「体をきれいにすること」「洗ってある服を着てくること」である。次がトイレの使い方である。オモチャすら見たことがないというのである。この幼稚園では自分たちの手で生きることを学んでいくことが大切であり、どんなに貧しくても母親や兄弟と一緒に暮らすことがいかに大切であるかを教える。甘やかし同情するのは子供たちの心を傷つけ、内面から駄目にしてしまう実例が紹介されてある。
 夫妻が自分たちの子供に望むのは「世界のどこにの国に住んでも、一人前に仕事ができ、人々の役に立てるよう」ということである。これまで歩んできた夫妻の当然の帰結である。隆雄さん55歳、さらさん48歳。アフリカの土になれと心からの声援を送る。

市橋家のHP:http://www.kdn.ne.jp/~amani/

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