2005年(平成17年)2月20日号

No.279

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

花ある風景(193)

並木 徹

大連の円生と志ん生の600日間

 井上ひさし原作・鵜山仁演出・こまつ座の「円生と志ん生」を見る(2月9日・新宿紀伊国屋ホール)。五代目古今亭志ん生(本名美濃部孝蔵・55歳)と六代目三遊亭円生(本名山崎松尾・45歳)が戦時中満州へ慰問にいったまま帰国できず大連にとどまった600日の野次喜多道中である。
 「間」の長い円生と「サゲ」の鋭い志ん生の落語家の姿が生き生きと描がかれている。
 渡満のいきさつは「向こうへ行きゃぁ、まだ酒がなんぼでも飲めるそうだ」と志ん生(角野卓造)。「寄席はどんどん焼けちまって演る所がない。じっとしてリャ徴用が来る。どうせすぐ帰ってこられるんだ。行ってこよう」と円生(辻萬長)。二人でみこしを上げた。昭和20年5月である。関釜連絡船はアメリカの潜水艦に狙われるのでだめだというので、新潟から羅津に渡り、汽車で新京へ。二ヶ月の巡業をおえ、いざ帰国という段になって、ソ連参戦。命からがら大連までたどり着く。
 当座は懐に余裕があったものの次第に窮する。伊勢町の旅館「日本館」では嫌な顔をされる。相部屋を強いられた二人のご婦人が密航船で日本へ帰国の話をもらす。このころ大連市民はいつ帰国できるか関心事であった。大連二中の8回生、打木広吉さんは朝鮮から海産物の交易にきた19トン40馬力の小型漁船を買収、昭和21年1月、荷物をフトン袋一つ、行李一個に制限、80人を船底に潜ませて、6日間で山口県神田村の漁港へ脱出している。大連は満州の難民や開拓団に人々で2萬人に膨れ上がった。栄養不足、ベスト、発疹チフスなどで連日死者が増えた。食糧の高騰で常食は高粱か粟の雑炊であった。劇中歌「桃太郎気分でネ・・・」は歌う。「こここそは地獄の世界/おさきまっくら袋小路/はだかの乳のみ子ひとり/乳房さがして泣いている/横丁には行き倒れが五人/そしてあっちこっちにも/できたてのシャレコウベ/みな日本人/いつのまにか そっと忍び寄る/ウアー地獄の大連の毎日・・・・」難民の間には仕方なく子供を手放す人が出て、引き揚げ孤児が生まれた。世馴れて才覚のある円生は芝居などして糊口をしのぎそれなりの身なりを整える。不器用な志ん生はぼろをまとい、人の情けにすがる暮らしをする。委託販売喫茶「コロンバン」の二人の出会いは面白い。志ん生は密航費として円生から7000円を受け取るが、密航は失敗する。難民救済のため炊き出しをしていたカトリック系女子修道会に志ん生は救われ、屋上の小屋で寝起きする。この修道院で志ん生が神の子イエズスに円生が弟子マタイに間違えられる。円生に「人はパンのみに生きるものにあらず」などと聖書の文句で説教する。10場の劇中歌は「涙の谷から」である。旧約聖書詩篇第84編(5−6)によると、「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人は幸です。彼らは涙の谷を通ってもそこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます」詩篇84編はエルサレムへの巡礼者が歌った典型的な巡礼歌の一つである。イスラエルの民はエジブトを出てからあらゆる艱苦をなめ、いくたびも機危にさらされた。そのつど彼らは免れた。その感謝を詩に歌った。異郷の地、大連で円生、志ん生もイスラエルの民と似た境遇と境地にいた。それでも二人は芸を忘れなかった。かって「読むべきは聖書なり」とメキシコの植物学者に教えられたがなるほどと感心する。
 舞台はテレジア院長(久世星佳)、オルテンシア(神野三鈴)、マルガリタ(宮地雅子)、ベルナデッタ(ひらたよーこ)と円生、志ん生の二人と交わす聖書の言葉を巡るちぐはぐなやり取りが爆笑を呼び、志ん生が落語の小話のサゲを教え、「三代目柳家小さん全集」を院長に渡す。さらに爆笑が続く。
大連の引き揚げは昭和21年12月から始まる。翌年1月、志ん生が、一ヶ月遅れて円生がそれぞれ帰国した。二人とも大連時代の人生体験が芸の上にプラスしてより一層の風格が増し大いに人気を呼んだ。落語家はまさに人生の語り部である。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp