毎日新聞の投書欄に「遊就館を見ればわかる靖国の本質」と言う見出しで57歳の僧侶の一文がのった(1月12日)。それによると「靖国神社の本質は、靖国資料館『遊就館』を見れば明らかです。戦争の賛美の展示とこの度の戦争は侵略戦争ではなかったと言い切っています」とある。戦後生まれで、占領軍による日本の軍国主義を一掃するための民主主義の教育を受けたとはいえ、大変偏っている。
私は幾度も遊就館に足を運んだが何時も涙せずにはおられなかった。人間魚雷「回天一型」を見ては大連二中の同級生を思い出す。海軍上等飛行兵曹、高橋光雄君(昭和63年8月死去)は瀬戸内海で訓練中、海底24メートルのところで「回天」の調圧把手、注水弁など主要装置をいくら操作しても浮上しなかった。音のない世界。誰もいないところで、一人涙を流し、高橋君は絶望の海底で意識を失った。ところが彼が発した応急液を飛行機が発見、潜水夫に救助された。戦後、彼から何回もこの話を聞かされた。彼の回天隊の同期生は事故を含めて382名が戦死した。また予備学生出身の特攻隊員たちの遺書は読むたびに心を打つ。
ここに日本陸軍の連隊旗がただ一旒飾られてある。昭和20年5月佐倉で編成された321連隊の軍旗である。終戦時、大本営は全軍に軍旗を奉焼せよと命令を出した。ところが歩兵の軍旗360旒のうち広島の321連隊の軍旗だけが奉焼されずに残った。連隊長、後藤四郎中佐(陸士41期)が「解体する日本の形見として321連隊の軍旗を秘匿し守り抜こう」と軍旗を石城山上の日本神社の境内に埋めた。爾後自宅で守護し、米軍の占領が終わると、軍旗を靖国神社に奉納。この事実を部下に話して毎年4月に軍旗祭を開いている。後藤連隊長は出征した満州で、兵営の周りの中国人の子供
のために寺小屋を作り先生の経験のある兵隊さんに教えさせたり、兵営の風呂場を中国人に開放したりした軍人であった。展示物はひとつひとつに歴史と物語が秘められている。単に表面だけを見て自分の感じたままを口にされるのは軽率のそしりを免れない。
どこを取って戦争賛美と言うのか。ものを知らなすぎる。遊就館は明治12年絵馬堂的性格と武器陳列所として作られた。昭和54年ごろから大東亜戦争記念品が奉納されてきた。戦争史博物館の体裁を持っている。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカにしても自国の領土を増やすため他国を侵略している。支那事変はともかく、アメリカとの戦いは侵略戦争とは言い難い。むしろ自衛戦争であるといっていい。遊就館では戦争の歴史を記念品を通して学べばよい。その感想はその人間の性格、人柄によって異なる。私は国に殉じた人々に大いなる敬意と尊敬の念を持つ。靖国神社に参拝するのは鎮魂のためである。 |