2005年(平成17年)1月20日号

No.276

銀座一丁目新聞

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自省抄(18)

池上三重子

 8月29日(旧暦7月14日)日曜日 晴

 台風十六号は鈍行の進行をさほど変えもせず、西日本をどうやら襲うらしい。みなさん二、三日来、おそれおののく様に話題そこに集中。通勤の往路復路の難渋をおもえば同情あるのみ。
 両開校への道路は悪路。凹凸烈しいままに乾けばそれも雨中以上に険悪だった。私の人生も似たものと思う。
 自転車通勤の同僚チエさんは、どう回顧するか。教師妻となるのが嫌で一旦結納済みを破棄、その後、新日鐵職員の妻となり女子誕生、みどりちゃん!みどりちゃんと甘ったるい声でいた。そのお子も四十代後半か五十代に踏み出しているか。歳月は人を待たず!
 野口ユリ先生の暑中見舞いのおハガキ、今朝手元に拝受。
 先生の玄冬期がそういうかたちで現れ、そういう心象の日々となろうとは!?先生の往年を知るもの誰もが予想し得なかったのではなかろうか。
 私もまた事情こそ違え、先生への感慨と似たようなもので見られていられようか。
 有為変転は、いろはにほへとよ。ちりぬるをよ。
 いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす
 わずか四十七文字にて、国事に通ずる便利を思えば万国天が下、ご恩を受けざる人もなし・・・と弘法大師和讃は記す。
 ユリ先生は掠れかすれて薄くたどたどしい文字でお書きになる。・・・あなたは近くに帰って人々が来るでしょう。私は長崎なので来る人がありません。寂しいです云々・・・と。
 先生は忘れてならぬ!そして忘れ得ぬご恩拝受のお一人である。先生は私に限らず困っている人、困っているであろう人たちを見流し聞き流しのできにくい方であった。
 ポンポン言いにくい事もズケズケ調だが、それ以上に面倒見はすばらしいかった。あなたは変な人ネット、離別の件でいかにも変そうな表情にいいながら、「妻の日愛のかたみに」が公刊されれば出版社から直接、めぼしい人へ販路分担。分担させられた人、たとえば鶴岡先生から後日談として知る。
 随分強引な販路拡張の手段と思ったが、直接販売で取り寄せれば書店へ支払う分、二割か一割五分か額はしらないものの渡されるという。だからユリ先生は、ちゃんと熟知の上でぶんたんさせられたわけだ。
 舌を巻くとはこういうことかと世間知らずは納得した。
 公刊前に私家版「亜麻色の髪」二百部?三百部?刊行の際、地方新聞の片隅をみてのご助力であった。
 先生の女学生時代は華やか。自転車通学の賑わいも記憶は憧れ色。卒業就職は当時珍しいコース。職業婦人の名称が付いた。先生は福岡中央郵便局交換手。頭脳優秀、行動力抜群。挙措動作は機敏だし運動は万能、殊にテニス姿は鮮やかに目裏に焼き付いている。
 結婚。先見の明は小学校の給食や事務担当から、当時福岡市のベットタウン小群に土地を求めてアパート建設、経営。かたわら、畑に作物づくり等々巡る増井活躍。克子、隆子二人のお子は高校卒業後、良縁を得て順風満帆の軌道は延長線上まぎれなしと見えた。
 好事魔多しの古諺が先生の上に死語ではなかった。
 次女に癌発症。手術入院が明日という日、先生は脳梗塞。半身不随は一年目に、手紙は左手に歩行は片方跪き少々にすっすっと可能。目前に見て驚嘆。さすがユリ先生と敬意を新にした。
 切手や硬貨等々、蓄財も着々。姉妹平等に分与の予定。次女の脚の片方に火傷ののケロイド状、しかし靴下デカバーできた。結婚、男児二人。癌は子宮。手遅れ。彼女は男児成人の暁の伴侶のために、衣類から装身具まで二人分の形見分けまで終えて死を迎えた。
 優しく素直な女性に望ましい性質は、周囲の人々の愛もたっぷりと受けた。私もその一人。 
 長女の夫は長崎大教授.出はお寺。夫婦そろって、次女に分与の財産に欲の目が眩んだ。それは手に入れた。次女の夫に執着心が少なかったと周囲は踏んだ。
 ユリ先生は長崎に道を撰んで一戸建て二軒の持ち家。老健入所のユリ子先生だが、外出許可を得て帰宅の際、長女の非情さは付き添っていながら、遂に家の中に入れなかったという。
 義憤よ!
 公憤よ!
 先生の恩給(年金)さへ奪おうとした。受給日に先取りした。然るべき手続きをされたらしく、それだけは入手されるようになったらしい。長女の非情行為は単独か夫婦共犯か。常識では考えられない老母親に対する態度!
 弟妹数人は見て見ぬふり。障らぬ神に祟り無し。
 先生にハガキ二枚返信。まだお元気の頃、といっても脳梗塞発症後だが、メキシコ在住を志された。一人の弟ごが国籍を持つ移住者。 
 決行中止の理由は知らない。
 もし永住行が志のまま順調であったら?当時の財力は充分に先生の終身を支えたであろう。先生がおいたわしい。
 ひたすらだった他者への善意、善行を知るだけに不運が理不尽とおもわれてならなぬ。台風騒動が沈静化したら妹、楓ちゃんか弟、保弘さんに来室を請うて近況打開の一緒でも?とも。
 お耳は難聴になっていられたが、お目も不自由では?文字の面からは悲観材料ばかりよ。



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