宇野哲人全訳注「大学」(講談社学術文庫)を読みはじめた。原文はわずか1753字と短い。「字義」「通解」がついているが,なかなか難しい。百遍読めば字義自ずから通ずと言うからあわてず、ゆっくり,のんびりと構えている。
戦前,小学校には薪を背負い本を読む「二宮金次郎像」があった。刻苦勉励の「二宮金次郎」と記憶している。特に何の本を読んでいるが気にしなかったが、その本が「大学」であるのを宇野さんのこの本で始めて知った。江戸末期の篤農家と知られる二宮金次郎の基礎は「大学」であった。小学校校庭に備えられた金次郎像はそれなりの意味合いがあった。「大学」に曰く。「天が人民を生む以上は,きっとこの人民に仁義礼智の生まれつきを与えないわけはない。必ず与えたはずである」「大学の書は孔子が詳らかに次第を擧げて説き示し,後人に遺したまえるもので,初学者よってもって徳に入るの門である」。人間に欠かせないのは仁義礼智である。肝に銘じておこう。
江戸時代の寺小屋では四書(大学,中庸。孔子,孟子)、五経(易経,詩経,書経,礼記,春秋)の素読を教えた。教育改革は先ずこのあたりから手をつけるのが妥当であろう。小学校時代に英語を教えるなど愚の骨頂であるとアメリカの大学で教鞭をとった経験のある数学者が言っていた。傾聴に値する。
「中庸」に曰く。「偏らざるをこれ中と謂い,易わらざるをこれ庸と謂う。中は天下の正道にして,庸は天下の定理なり」。宇野さんは序文でこんなことを言っている。「この本でいう中庸とは、その場、その時に、最も適切妥当なことである。だから本当の意味での中庸は、生易しいことではなく、常に中庸を得る事ができるのは聖人だといわれる」。中庸は足して二で割ると言う安易なものではない。世の中にはこの安易な方法でことを処理しようとしているものが少なくない。特に政治家に多い。
新しい時代を迎えた。時代のカンパスは常に真っ白で、創造力のある挑戦者が自由に何でも描く事ができ、その実力を発揮できるようになっている。先ずは足元をしっかり固めよう。 |