安全地帯(96)
−新妻 香織−
エチオピアに緑のよみがえるのを夢見て
(フー太郎の森基金)
そもそもの始まりは1994年1月のこと、エチオピアは30年にわたる内戦を終え、外国人も旅ができるようになった。私はティムカット(精霊降臨祭)というお祭りを見るためラリベラという村にいった。ラリベラには12世紀の岩をくりぬいた教会が11残っていて、今は世界遺産に登録されている。
この教会を巡っている時、少年らが崖の上で何かボール玉のように投げあっていた。それはよくみるとふくろうの子供であった。ふくろうはまだ飛べずに恐怖におののいていた。私は少年達からふくろうを買い取り、森に返してあげようと思った。ところが引き取ってはみたものの、ラリベラの森林破壊は目を覆うばかり。私はふくろうの子供を連れて森探しの旅に出かけた。ふくろはフー太郎と名付けた。
戦後間もないエチオピアの田舎は車も殆どなく、輸送用のトラックをヒッチハイクしながらの旅であった。それより私を驚かせたのは、干からびた大地の姿であった。エチオピアは
かつて国土の40パーセントが森であったという。それを4パーセントにまで減らしていたのだ。乾季の川には水が全くなく、人々は川床を掘って滲み出る泥水を空き缶ですくっている。シャワーを浴びる水どころか、歯を磨く水すらない。もちろん赤痢、コレラ,腸チフスなどが蔓延していた。
この時,木を失った大地がどういうものかを,私は初めて知ることになった。木がなくなるということは水がなくなるということなのだ。そればかりか,木のない土地は雨に叩かれ,年間10億トンもの土壌がこのエチオピアから流出し,農業もたちゆかなくなっていた。
3週間の旅の後、フー太郎は無事森に帰っていった。ゴンダールという湖の近くにある町の教会には幸い森が残っていた。旅の間、フー太郎は飛ぶ訓練と自分で肉を食べる訓練をしており,ひとり立ちできるようになっ
ていた。私は1キロのお肉とお金を教会の僧侶に託しこの町を去った。
その後私は5年にわたるアフリカの旅を終え日本に戻った。1998年、アフリカの水と緑のための団体「フー太郎森基金」を立ち上げた。発起人も発足式もなく,たった一人のスタートであったが,あっという間に全国に支援の輪が広がっていった。
私の書いた「フー太郎物語」に絵本作家の葉祥明氏が絵を描き、「森におかえり」という絵本になった(自由国民社)。高知から青森まで41ヵ所の人たちがボランティアでフー太郎の森の基金のキャンペーンを誘致,絵本の原画と私の講演,稲垣達也氏のピアノコンサートを持って全国を巡って支援を呼びかけた。キャンペーンは45日にも及んだ。
アフリカを旅している時は夕日を見るのを日課としていた。その日も教会の丘に出かけた。一人の少年がやってきた。私の脇にぺたり腰をかけるではないか。山羊に草を食べさせるこの少年は英語が通じなかった。私も彼らの言葉がわからなかった。私は彼に「幸せなら手を叩こう」を歌ってあげた。これはアフリカの子供に人気なのだ。彼はすぐに調子を覚え,一緒に夕焼けの中を手を叩いたり足を鳴らしたりして帰ってきた。翌日夕日を見に行くと、彼は一人友達を連れてきており,また私たちは3人で歌った。翌々日出かけてゆくと3人が5人になり,5人が10人になりと,どんどん子供が増えて,1週間後には20人くらいの大合唱団が出来た。
5年後ラリベラを訪れた時,懐かしくなって夕方に教会の丘に出かけると、3人の少年が駆け寄ってくるではないか。「僕は君を覚えている!君は僕にコニカのケースをくれたんだ」と。コニカのケースとはフィルムのプラッチクの容器だ。すててしまうようなものだけど,欲しがる子供がいたっけ。別の子はいった。「君はキャンディをくれて、日本の歌を教えてくれたよ」「そうだ、そうだ」と叫ぶや,3人は「幸せなら手をたたこう」を歌いだした。このとき、子供達との再会がこの村に木を植えさせる決心を私にさせた。全国を一緒に行脚した熊田富美子さんが初代の駐在員になった。熊田さんは言葉の支障や男尊女卑の風習の残る中、ラリベラ暮らし、たった一人で体当たりの活動であった。
現在駐在員は3代目。この5年間で私たちはラリベラの子供たちと一緒に19万本の木を植えた。活動は環境教育による緑化にとどまらず村の衛生改善の事業や公園の整備などに発展し、女性協同組合や学校建設にも携わっている。05年からは新たにラリベラ周辺に8つの溜池を掘る計画だ。雨季の雨水を溜めた池の周辺にグリーンベルトを形成し地盤に地下水を貯え、やがて人々が井戸や泉から水が得られればと考えている。
活動を始めたばかりのころ、「アフリカに木など植えるなんて無駄です」と。幾人かの方が私を嗜めた。確かにそうかもしれない。ここ10年日本の2倍もの面積の森林が地球上から喪失し、毎年四国と九州を合わせた面積が草も生えないような砂漠のような土地と化しているのだから。しかも私たちはそれほど木を植えていない。つまり木を植えるスピードより切るスピードの方が数段早いのだ。このままでは30年程で地球の緑はすべて消滅すると予測する科学者すらある。
それでも「無理です・・・」と後ろ向きにならず、干からびた大地が緑で覆われる夢をみて欲しいと願うのだ。多分私たちにできることは、教育と実践という形で、ラリベラの子供達の心の中に緑の種を蒔くことだけであろう。何れこの子供たちが自らの手でラリベラの中に、エチオピアの中に緑を広げてくれるに違いない。
創設から6年、福島県相馬市という小さい町で誕生した、小さなボランティア団体の活動を支えようと立ち上げてくれたのは、各地で様々な市民運動を展開している方々、あるいは社会的な活動をしたこともなかった主婦達であった。これまで支えてくださった支援者のことを、私はけして忘れない。毎年夏、全国の支援者に活動報告して廻る「全国キャンペーン」を行っている。これまで鹿児島から北海道の利尻島まで115ヵ所を巡った。支援者の声が、笑顔がまた私たちの背中を押してくれる。
こんな気持ちで活動しているフー太郎の森基金の応援団になっていただけると嬉しいです。
年会費 一般:3000円、学生2000円、団体1万円
記念樹 一本2000円(次回は05年6〜8月に植林の予定)
葉祥明氏の絵本「フー太郎物語 森におかえり」(1600円)やポストカード(5枚組500円)新妻香織のアフリカ横断記「楽園に帰ろう」(蓮如賞優秀賞受賞・1200円)のご注文は事務局まで
フー太郎の森基金事務局
〒976−0022 福島県相馬市尾浜字南ノ入241−3
電話・FAX0244−38−7820
郵便振替:02200−3−92025 フー太郎の森基金