新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳「武士道」(岩波文庫)は手元の置いてある。閑を見ては読み返す。意外と短歌、俳句が織り込まれている。好きな吉田松蔭の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」の歌もある。武士は優美なる感情を涵養するために詩歌が奨励された。田舎侍大鷲文吾の逸話が紹介されている。俳諧を勧められ「鶯の音」の兼題に作った句は「鶯の初音をきく耳は別にしておく武士かな」である。やがて師、大星由良之助に励まされて「武夫(もののふ)の鶯きいて立ちにけり」の名吟をえるまでになった。
俳句を始めて4年になる。容易に名吟は生めだせない。それでも物をよく観察するようになり、態度も少しは柔和になったような気がする。新渡戸は言う。「優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲・慇懃の心は礼の根本をなす」なお一層、俳句に精を出さねばと思う。
心に留めておきたい文章には赤線を引く。第8章 名誉 「廉恥心は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の一つであった『笑われるぞ』『体面を汚すぞ』『恥ずかしくないか』等は非を犯せる少年に対して正しき行動を促すための最後の訴えであった」に赤線が引いてある。廉恥心を今問われるのは政治家、企業主である。日本歯科医師連盟のヤミ献金問題に対する政治家の倫理観、長年にわたり株式会社の上場ルールを平気で破る企業主の道徳観はどうなっているのであろうか。「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないのか」という言葉が少年に対して発する最後の訴えであるとすれば、大人達に発する言葉はあるのか。新渡戸の知恵を借りると「正直は最善の政策なり」という。不正の事実を包み隠さず公表するのが最善の策である。いかがなものか。 |