安全地帯(89)
−信濃 太郎−
「自省抄」-書くのが生きることです
「銀座一丁目新聞」に連載中の「自省抄」は今回で9回を数える。西日本新聞の一面のコラム「春秋」(10月5日)で池上三重子さんの「自省抄」がインターネット上で掲載されていると紹介してくれた。私のところに話を持ち込んだのは、藍書房の小島弘子さんと渡辺ゆきえさんである。二人とも池上さんを見舞っておりその後手紙のやり取りもしている。小島さんは鎌倉書房にいた時、池上さんが自分を看護すること30余年、104歳で亡くなった母を綴った「わが母の命のかたみ」を編集出版したというご縁もある。
今年80歳の池上さんは今福岡県大川市の特別養護老人ホームにいる。寝たっきりである。池上さんを支えるものは「書く」と言う行為だけで、自ら日録「自省抄」を書きつづけている。「銀座一丁目新聞」が旬刊ゆえに日録を毎日連載出来ないのは残念である。教師をしていた池上さんは昭和29年10月30歳の時、多発性リウマチ様関節炎を発症、入退院を繰りかえし、改善の見込みがないのがわかると、自ら言い出して昭和39年3月離婚する。「夫恋うる歌禁じられ泣きじゃくる女性一人ここにあり」の歌を残す。昭和40年には「妻の日の愛のかたみに」(サンケイ新聞出版局)を出版、テレビのモーニングショウにも中継された。ドラマにも映画にもなった。「妻の日の・・・」を読んで自殺を思いとどまったと手紙を呉れた若者もあった。それが三重子さんの生きる支柱ともなった。終生、三重子さんを支えた母キクさんは昭和63年に104歳でなくなった。「わが母の・・・」の本の中にこんな一節がある。三重子さんを入浴介護した寮母さんがびっくりした。10年の間入浴をしていないのに三重子さんの体に全く垢がなかった。利用者の殆どが垢まみれで一、ニ回の入浴では素肌が現われない。「病人のようではない。美しい。お母さんの手入れがよっぽどよかったのにちがいない」と感心する。三重子さんは母を「愛の使徒キリストであった」と感謝する。キクさんの俳句がある。「あまくさもちくごも青き月夜かな」「ただ一度つみしことありつくしんぼ」人を疑ったことのない素直でまっすぐな気持ちがそのままに出ている。
三重子さんの母に捧げた歌 「母恋わば御血わけたるこの身こそ二無きかたみとわれは思わん」今後とも「自省抄」の一層のご愛読をお願いする。 |