2004年(平成16年)10月20日号

No.267

銀座一丁目新聞

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自省抄(9)

池上三重子

    風樹の嘆のくりかえし・・・

 8月11日(旧暦6月26日)水曜日 快晴

 思いだすたびに含羞にこころが縮む。
 智香喜さんは見た!
 彼はそのことに一言も触れずじまいだった。
 今日も私は右脚膝下を露出させている。
 乾燥が塗布薬と共に治療法なのだ。
 裾よりもネグリジェは折り曲げている。
 真っ赤で血飛沫あびたようだったがくすんできた。痛み加減で判るが手鏡でたしかめる。医療スタッフも看護者も異口同音、いや同口で笑見かける。癒える!・・・
ありがたいな。
 智香喜さんの話は楽しい。実働の華と実よ。
 予科練帰りの今は築後一円のみか県下屈指の実業家。運輸業は大川家具の不況なりにだろうが三百人余の社員を抱えた大本締め。経営は跡取り息子に一任。口出しはしないが七光り具合は耳に入るからやっぱり大本締めよ。
 彼の話題の中に馬が登場した。
 馬は人と共に田園地帯の枢軸だった。
 健康な若い時代、日常茶飯、目にする馬であった。
 ドウドウと声掛けながら伸びやかに田を鋤き起こすと私の見た農夫と耕馬の光景は、信頼関係あってこそのものと初めて知った。手綱は二本、上手な使い手は真っ直ぐ進行させるが、下手だと馬は後ろ振り向きふりむき舐めてかかり言うことを聞かないという。
 往時、集落には馬入れ場があった。夕方、自転車こぎつつそこ、馬の風呂場の堀(運河)の中で、馬は心地よさそうな穏やかな立姿。お百姓さんは藁だわしでザブザブ水音立てて洗ってやっていた。蹄(馬の脚裏)の凹部につまった泥土を取り除いてもらう馬の幸福感が、往時の黄昏の馬の風呂場の光景をバックに伝わってくる。
 風物詩!そうその風物詩は常臥の私の面に微かに唇をゆるめさせ、母に付き添われて逗留した湯治場を甦らせた。
 パッカパッカパッカ・・・
 馬の蹄の音が路地の石畳に響く。
 ここは熊本県八代市・日奈久温泉湯治場。湯治客用の三部屋のならぶ真ん中の三畳間。三部屋は半間幅の縁続き。二階。両隣りは先客。一室は娘自慢の大工さん。一室は四十代半ばの(?)の粋すじ(?)の美人・・・
 母が縁側に据えた七輪の前に坐り煮炊中、うちわの周縁の破れを持参の半紙細切りでつくろいながら歌っている。
  うちわさん
  うちわさん
  お前と縁も夏限り
  秋風立ったら嫁りゃんせ
  どうせ買われたわたしじゃもの
  骨になるまで使うて下しゃんせ 


  床屋さん
  床屋さん
  どうぞ合わせて下しゃんせ
  慈悲じゃ仏じゃ
  切らないで
  わしを合わせて下しゃんせ

 「ミーちゃん、昔はない(ねえ)。剃刀で顔剃っとば(を)。合わするち(と)言よったもんない(ものだよ)」
 湯治中の私はむっつりしていた。口を開けば文句だった。文句は八つ当たりの因縁吹っかけ。母は柳に風。例によっての自然体! 私は強迫観念による心気性? 鬱の症状下ではなかったろうか。母の動じることのない自然体に苛立ち、苛立つ自分により苛々は今に至るも甦らせては風樹の嘆のくりかえし・・・
 六道輪廻の転生思想が恋しくなる。
 あるはずのない来世が、さ来世が欲しくなる。
 生涯、呆けない限り理想郷・・・桃源郷・・・を夢見る私出端過労か。
 浮沈のこころ騒々しく葛藤にまみれながら、一転しては生き生き溌剌、いのちの奥のまにまの生命体私?のような気もする。
 母よ!
 佳き一日! を感謝いっぱいです。夢見にお待ちします。



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