2004年(平成16年)9月10日号

No.263

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(107)

「呆けの始まり」

芹澤 かずこ

 姑が大たい骨を複雑骨折して入院し、手術を受けたとの知らせに沼津へ出向いた。姉妹や子供たちなど近しい人の顔も判別し難くなっていると話に聞いていたので、暫らくご無沙汰していたから分らないのではと覚悟していたら、 
「あんた東京からわざわざ来てくれたのかね」との第一声に安堵した。でも、その先が続かない。首を傾げて思い出そうとしているが、どうしても名前が出て来ない。
耳が遠いので筆談用にと、義兄嫁が用意している白紙に「和子」と書いて見せると、「ああ、ああ」と頷いていた。93歳でこの程度なら立派なものだ。60代の私でさえ、最近では咄嗟に物の名前や人の名前が出て来ない。すぐ思い出すものもあれば、全く思い出せないこともあって不安になる。
 老人は特に、入院などして社会から隔離され、生活に刺激が少なくなると呆けが進むと言われている。義兄嫁は毎日少しでも脳を活性させようと、見舞い客の名前を思い出させたり、白紙に自分の名前や年を書かせたりしている。
その用紙を見ると、いつも同じではなく、その日によって記憶がはっきりしている時とそうでない時があるようで、自分の名前も「芹澤花重」と書いている時もあれば、「川島花重」と70数年も前の旧姓を書いている時もある。最近のことより昔のことをよく憶えていると言われるが、これなど顕著な例だろう。
年齢も99歳と書いている時がある。そう思い込んでいるのか、違うと言われると混乱するらしい。孫が指を3本立てて見せると「93歳? 本当に?」と納得しない様子で何度も首を傾げている。
ここまでなら多少のもの忘れだが、突如として掛け布団の上を指差して「ここにお金があったでしょ」などと言う。今のところ「ない」と皆で首を振るとその先はないが、呆けの症状の一つとして、よく財布がなくなったとか、大事なものを盗られたとか、周囲を疑うような言動もあると聞く。
思い違いなら私にもよくあり「確かにここに置いたはず」と、しょっちゅう探し物をしている。目の当たりに、そう遠くない自分の姿を見せられているようで気が滅入った。



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