2004年(平成16年)2月10日号

No.242

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

安全地帯(68)

−信濃 太郎−

弱いきものその名は男なり
 

 吉永みち子さんの「女偏地獄」(集英社文庫)を読んでいたら、女がびっくりするほど強いのを知った。妻を失い、残された夫の平均余命は3年なのに対して夫を無くした妻の平均余命はナント25年だという。いかに夫が手間のかかるものであるかを如実に実証している。夫をなくして嘆くのはしばらくの間で、ある時期がたつと解放感にひたり、海外旅行したり好きな趣味に没頭したり生き生きする。廻りにそのような女性が少なくない。だから私はできるだけ自分のことは自分で処理する。中学生時代は寄宿舎生活で炊事当番をしたし、陸士時代はすべて自分ですべてを処理した。120歳まで生きる目標をたてているのでそれなりの生き方をしている。妻とは独立独歩で、お互いに好きな事を自由気ままにするようにしている。一緒に旅行にいくとか芝居をともに見るとかはしない。どちらが長生き知るかは神様に任せている。
 女心はまことに奇妙でわかりにくいが、この本で少しは判ったような気がする。「髪、衣服、化粧」の三段階変身法から「変われる、戻れる、隠せる」の精神的三点セットを使いこなせるという。女性はすごい。尊敬してしまう。社会部時代、「ネクタイは毎日かえろ」とデスクから教えられた。それは忠実に守った。後は直球一本で進んだ。早く吉永さんに会っていたらもっと良い事が沢山あったであろう。
肩書きには私はこだわなかった。名刺には肩書きを書かなかった。もともと社長らしくないない社長だから肩書きを書いても書かなくてもたいして違いはなかった。それでも後で私が社長と知ると態度を変えた人が何人かはいた。
 社会部時代事件に追いまわされ自宅でテレビを見ることは殆どなかった。子供達にでれでれとテレビを見る姿を見せたことはない。子供達には自由放任で「本だけ読め」と進めただけで、どの大学に入れとも言わなかった。子供は妻任せで「この人とはやっていけない」と時には妻は思ったかもしれない。「相手の状況を思いやる想像力のかけらもないとわかった時、水は堤防を越えていきよく溢れてしまう」そういう危機がなかったとはいえない。スポニチ時代、部下の結婚式のスピーチで「愛情などというものは2、3年でさめてしまう。結婚する勇気に敬意を表する。だが、夫婦円満の秘訣は思いやりだ」といったものだ。
 女性のキワードは「一緒に」だそうだが、私は「自律」である。時代は明らかに女性の時代に入っいる。女性の採用を含めて女性を大事にしない企業は衰退する。スポニチの社長のとき今から10年ほど前だが、一人の女性を部長職につけた。その後女性が部長になったという話を聞かない。採用にあたって女性男性の区別をつけなかった。
 日本の男性の家事労働時間は週4時間である。私などは30分ぐらいである。洗い方が粗雑でよく妻から叱られている。これからは日本でも次第に多くなってゆくであろう。アメリカは16時間、ロシア男性も12時間だというから日本はまだまだである。男も女も人間である。性差を認めた上で人間としての価値を認めあい、お互いに高めあっていけばよいと思うのだが・・・

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp