2004年(平成16年)2月10日号

No.242

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(5)

―岡部55歳の復活― 

  定年について考える。社会の多くの組織には定年があるが、不況によるリストラで、その年齢を引き下げる傾向が強い。高齢化社会といわれる中で、まことに厳しいものがある。そんなことを考えさせたのは、競馬の世界における岡部幸雄騎手の復活だった。
 スポーツの世界には定年がない。体力の衰えなどから自ら決断して現役選手を退くのだが、決断を迫られる者には、他人の窺い知れない厳しいものがある。岡部幸雄騎手の場合、怪我のために長く休養を余儀なくされ、1年1カ月ぶりに復帰した。岡部騎手は55歳。騎手最年長。1昨年のレースで怪我をし、治療とリハビリを続けてきた。だが、長年にわたる肉体の酷使による影響は大きく、回復に時間がかかった。調教で馬に乗れるようになっても、レースに騎乗できるまでには時間を要した。それがようやく実現したのには、関係者の理解と声援が大きかったようだ。
1月25日の1回中山最終日、岡部騎手は3つのレースに騎乗し、2戦目に復帰初勝利を挙げた。これで通算2881勝。もちろん現役騎手のトップ。騎手には定年制がないが、怪我や体力的な衰えから、早期に現役を退くケースが多い。現在、東西の騎手は160人
(見習い騎手を除く)。そのうち50代は、僅かに3人(岡部55、坂井52、大塚50)。この3人の通算勝利数はというと、岡部騎手が2881勝でダントツ。後の2人は坂井騎手636勝、大塚騎手612勝で、岡部騎手の4分の1以下にとどまっている。名手・岡部騎手は別格として、勝つことの難しさを示すとともに、騎手人生の厳しさを感じさせる。ついでに記せば、昨年1年間の勝利数は、坂井13勝(騎乗数28回)、大塚1勝(騎乗回数11回)。勝ち星を挙げらなくなっているが、騎乗回数が少ないことにも気付く。馬主や調教師からの騎乗依頼の減少を示している。勝負の世界は厳しい。
 岡部騎手の話題に戻る。復帰までの経緯を見ると、02年12月、有馬記念を最後にレースを休む。03年には騎乗依頼があったが、体の違和感(足、腰、肩など)から数度の騎乗辞退。11月にはゲート練習中に馬が暴れて落馬して、右ひざ亀裂骨折(全治6週間)して入院。今年1月、主治医からの許可が出て調教騎乗を再開。1年1カ月ぶりの復帰には、こうした苦難の経緯があった。現役最年長の年齢から考えれば、驚異的な復帰といえる。怪我を克服した復帰は、他の騎手にも大きな励ましの材料となるだろう。
 復帰した岡部騎手の55歳2カ月は、JRA平地最年長記録。デビューから37年目となるが、これも大記録。まだまだ活躍を期待したい。

( 新倉 弘久)

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