陸軍予科士官学校時代の榊原主計生徒隊長(陸士35期)の墓前祭に出席した(10月14日、多摩霊園)。榊原さんが生徒隊長であったのは昭和17年12月から19年10月までである。この間教えを受けたのは58期、59期、60期9900名である。59期の地上兵科は在校中の全期間、榊原さんの薫陶を受けた。世話人は59期の弁護士、鹿野琢見君。出席者は11名。小雨降るなか榊を墓前に供えた。榊原さんは昭和59年10月14日亡くなられた。享年83歳であった。
鹿野君が同期生の伊従正敏君が追悼録「榊原主計」(昭和60年刊)にも触れているとして、榊原さんの思い出話をした。ある日、生徒隊長は59期生全員に訓話をされた。士官学校では授業開始に当たり、教官が教室に入ると同時に週番の取締生徒の号令により全員が起立、敬礼、出席報告をしている。これは教えを受ける者の当たり前のことと思っているが、大学や高等専門学校ではそうでないらしい。教授が見えても起立はもちろん、敬礼もしない。このことを東京帝大にいっている弟(帯刀さん)に「物の理を教えてくださる師に対して敬礼をするのは、学問を志す人間の当然なすべき初歩的な行為であるまいか」といった。弟はもっともだと感じたらしく大学へいって早速実行した。何十人もいる学生の中で一人だけ起立敬礼をするのだから最初は照れくさかったに違いないが、弟はそれに臆することなく毎時間それを繰り返した。もちろん教授も丁寧に答礼をされる。日がたつにつれ弟を一緒に起立するものが一人増え二人増え二、三か月たつと全員が自発的に起立敬礼をするようになったと言う。(弟の帯刀さんは生徒隊長とは5つ違いで、帝大卒業後、三菱重工の勤務されたが、昭和12年10月実験中の事故で死去された由)
この訓話私などは全く覚えていない。当時の日記は昭和20年8月、復員の際、すべて焼却したので思い出すすべもない。いま大学では私語は言うに及ばず、携帯電話をかける不埒な学生までいるというから驚きである。教育は難しく考える必要はない。人間が当然なすべき事をすればよいのである。その当たり前の事が当たり前に出来ないところに問題がある。
ちなみに多磨霊園には阿南惟幾(終戦時の陸軍大臣・陸士18期)井上成美(海兵校長・37期)宇垣一成(陸相・外相・1期)加藤建夫(隼戦闘隊長・戦死・37期)古賀峯一(連合艦隊長官・殉職・34期)児玉源太郎(陸相・内相)西郷従道(陸相・海相)斉藤実(首相・海兵6期)田中義一(首相・士官生徒8期)東郷平八郎(連合艦隊長官)山下奉文(大四方面軍司令官・刑死・18期)山本五十六(連合艦隊長官・戦死・32期)渡辺錠太郎(教育総監・2・26事件で殺害・8期)などのお墓がある。
(柳 路夫) |