2003年(平成15年)10月20日号

No.231

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(16)
星 瑠璃子

  8月5日
 睡蓮の花咲く石神井公園へ。前夜の雷雨に洗われて木々の緑は瑞々しく光り、母はいそいそとスケッチを始める。安心してケンちゃんとひと回りして戻ってくると、なんと母が池のふちに倒れているではないか。昨日に引き続いての、思いも寄らぬ転倒である。トイレに行こうとして転んでしまったのだという。
 どうしてそのような無謀なことを考えるのか。なぜ少しの時間を待っていられないのか。無事だったからよかったものの、楽しかれと思ってすることがみじめな結果を招いてしまうのが情けなく悔しい。私が怒ってしまうのは、いつもこうしたときだ。何もして上げず家で寝かせておくだけならば、怒ることもなく笑っていられるのだろうが、めいっぱいのサービスをしようとしては失敗し、怒っている。
 けれども、どう考えても、ここで怒るのはこちらが悪いのである。何をして上げたところで、怒ってしまえばモトもコもないのである。いや、むしろマイナスだ。母の心を傷つけるだけだ。それが分かっていて、なぜ私は怒るんだろう。
 そんな思いを反芻しながら帰途の車を走らせ、睡眠薬と安定剤をいただくために主治医の O先生のところへ立ち寄る。通りの向かい側の涼しいところへ車を駐め、「少し待っていてね」とくれぐれも言い残して O 医院へ入った。
 先客はひとりだけで、もう診察室に入っている。それではと待つことにしたのだが、これが結構時間がかかるのである。気になって幾度となく外へ出ては様子を伺っていた。すると、なんとしたことか、車の往来の激しい道路を横切って、よろよろと母がこちらへ向かっているではないか。車椅子もなしに。なんということだ。こんなところでまた転びでもしたら !  
 「瞬間湯沸かし器」のように沸騰する私を見て、「あんまり遅いので見に来たのよ」と母は涼しく言ったが、どんなに私が怒ったかは、もうここに書く勇気もない。

 8月6日
 昨夜はO 医院からいただいた睡眠薬(ハルシオン0.125mg)と、精神安定剤(ソラナックス0.4mg)を夕食後7時半に服用した。母にとっては初めての睡眠薬であり安定剤である。退院後ほぼ1と月というもの、あまりにも眠りが浅く、ほとんど眠れぬ状態が続いていたので、思い切ってお願いしたのである。夜中にトイレに立つたびに着換えるパンティの数が4枚から5枚になり、6枚になり、最近ではとうとう8枚になって(ということは最低8回は夜中に起きるということ)、これでは身がもたないと相談の結果だった。
 「その年齢で2か月も入院していれば、アタマもカラダもぐっちゃぐちゃになって当然ですよ」とO先生は言い、上記の薬を処方してくれたのだった。
 薬を飲むと間もなく、母は眠りはじめた。明け方の5時過ぎまで1回も起きずに熟睡した。こんなことは退院後はじめてだ。
 劇的に薬が効いたのは嬉しいことには違いないのだが、朝の5時15分、もうろうとした状態のままトイレに立った母は、またしても転倒してしまった。ベッドの手前まで来て倒れ、助けを求めていた。内線電話ですっ飛んで行った私が苦心惨憺してベッドに寝かせると、また昏々と眠ってしまった。
 昼近く、ようやく目を覚ました。朝昼兼用のトーストとハムエッグ、ミルクティーを美味しい美味しいと食べたまではよかったが、午後もまた眠っている。時折起きてはふらふらと居間まで出てくるが、目つきがとろんとして、声は赤ちゃんのよう。ほとんどラリっているといった状態である。夜は食欲もなく、デザートの果物だけ食べてまた眠ってしまった。
 就寝前、さんざん考え悩んだたあげく、前夜の通り薬をのませた。1回だけでは様子が分からないと思ったのだが、これが失敗だった。
 
 8月7日
 未明4時。まだ暗いうちに起こされた。
 今度は寝室とアトリエの中ほどに大の字になって倒れていた。退院から6回目、4日続けて、睡眠薬を飲みはじめてからは2夜連続の未明の転倒である。やっぱり薬が効き過ぎたのだ。大事にいたらないからよかったものの、こんなことをしていたら、この先何が起きるか分からない。再入院なんてことになったら、それこそ目も当てられない。
 安定剤をやめて睡眠薬だけにしよう、そう思い、友人Nに電話で相談すると、Nはその逆がいいのでは、という。ともかく睡眠薬をやめ、安定剤だけにしてみたらと助言してくれた。本来なら医者に相談しなければならないことなのを、どうもその気にならないのはどうしたことだろう。何を言っても「そのおトシじゃあ」と言われるのが分かっているからだろうか。
 午後は昨日に較べればいくらか元気なようだが、寝室と居間の間の激しい往復がまた始まった。朝、昼、おやつは美味しくいただくが、夜は食欲なし。ほんの少しのビールと枝豆。ハンバーグ少々。 
 
 8月8日
 昨夜も眠れたらしい。洗濯カゴに入っているパンティは3枚。恐れていた転倒もなく、ほっとする。ただし便秘の薬が効き過ぎて汚れ物甚だし。
 安心したついでに「重度要介護高齢者手当」について福祉事務所に聞きに行く。要介護3から5までに認定された65歳以上の高齢者に対しての手当てである。ただし本人の所得が基準以下の場合とあり、どうかと思ったが、前年の母の事業所得をマイナス申告していたおかげで該当者となった。教えられて、ついでに「パッド支給」などの申請書を提出する。さまざまのサービスが受けられるのは有難いことには違いないが、ついにここまで来たかという複雑な気持ちである。

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