2003年(平成15年)9月1日号

No.226

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
静かなる日々
お耳を拝借
GINZA点描
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

茶説

あえて火中の栗は拾うべし

牧念人 悠々

 自衛隊のイラク派遣は来年になりそうである。バクダッドの国連現地本部が爆弾テロで特別代表はじめ多くの犠牲者を出したからだ。危険で自衛隊員に危害が及ぶおそれがあるということらしい。どうもおかしい。すでに27ケ國の外国の軍隊はバクダッドには入り、それぞれの任務に就いている。危険を承知で仕事をしている。命が危ないから自衛隊は行かないというのであれば、世界の同盟国から見れば非常識とみえるであろう。もともと専守防衛を宗とする自衛隊を外国に派遣することはできない。それをできるようにしたのが特別措置法である。任務はイラクの復興支援と人道援助で、応分の国際協力を果たすためである。常識的に考えてみよ。イラクの占領地域に安全地帯と危険地帯をはっきりと区別できるわけがない。
 爆弾テロは今後も起りうる。テロは新しい形の戦争である。9・11事件から自由諸国はアルカイダと戦争中である。このことを忘れてはいけない。国連現地本部を爆破した犯人はアルカイダと関係があるイスラム過激派アンサール・イスラムらしいと言われている。テロは自由諸国の共通の敵である。しかも姿は見えず、いつ何処を襲ってくるかも分からない。国連の現地本部を襲ったように攻撃目標は無差別である。イラクに行かないと言うのはテロに背を向けるのを意味する。卑怯者のすることである。多少の危険があるからこそ自衛隊を派遣することになったのではないか。しかも自衛隊は「事に臨んでは危険を顧みず、身を挺して国民の負託に答える」のが本分である。
 憲法でいう平和主義は十分わかる。今、国際協調の中でどうおりあいをつけるのか厳しく問われている。自国の殻の中に閉じこもっていては平和を守れなくなってきている。国際情勢がそれをゆるさない。北朝鮮の核保有問題を見ても日本だけでは解決できない。今、イラクに行くのは火中の栗を拾うようなものである。だが、あえてその栗を日本は拾わなければならない。テロにおびえて派遣を渋るのは「敵が攻めてきたら逃げるという若者」と何ら変るところがない。日本の平和ボケの病巣もかなり深刻のようである。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp