2003年(平成15年)9月1日号

No.226

銀座一丁目新聞

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追悼録(141)

「ノーブレス・オブリージェ」の飯塚昭男さん

 知人の選択出版社長、飯塚昭男さんがなくなった(8月18日、享年69歳)。知り合ったのが毎日新聞の論説委員時代だから30年の付き合いである。彼が経済雑誌「財界」にいたころで、5年ほど社会的なエッセイを書かしていただいた。勉強になった。
 飯塚さんの好きな言葉は「ノーブレス・オブリージェ」である。上に立つ人はそれなりの倫理や社会的責任が求められるという意味である。渋沢栄一の遺訓
「片手に論語、片手にソロバン」と同じである。これをもじって私は「新聞界も片手に論語、片手に真実(現場主義)」を唱えた(平成14年5月10日号茶説)。長男の荒太君はスポニチの記者である。私が社長のときに入社した。ちょっとしたエピソードがある。スポニチの入社試験には合格したのだが、単位が足りなくて卒業できなくなった。人事部長が相談にきた。「合格を取り消しますか」
 「そんな可哀そうなことをするな。一年間スポニチの校閲でアルバイトさせて単位を取らせろ」と指示した。彼は同期生より一年遅れて入社した。このためかしらないが、平成12年11月の荒太君の結婚式に招待された。仲人なしの式であった。最後に荒太君が挨拶した。「父は家庭を顧みなかった人でしたが私は家庭も仕事も両立させます」。最近はこのような記者が多い。新聞記者の仕事は寝食を忘れ、家庭を顧みず働かなければ、真実を掴み取ることの出来ない職場である。帰りしなにこのことを彼に伝えたがわかってくれたかどうか。21日東京・護国寺で執り行われた通夜で、彼は「両立させております。この5月に生まれた長女に父が梨奈と名づけました。初孫で、喜んでいました。これが私の最後の親孝行になりました」と話した。

(柳 路夫)

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