静かなる日々 ─
わが老々介護日誌─
(12)
星 瑠璃子
7月4日
ようやく受け入れ態勢が整った。早朝、勇んで退院の件を依頼するが、「婦長も主治医も今日から夏休みです。来週の月曜日には話しておきましょう」との返事。なんということだ、月曜日までにはまだ5日もある。こちらは半日刻みで準備を整え、母は文字通り一日千秋の思いで退院を待ち望んでいるというのに。こうなると、もうここには一日もいられないという気持ちになってしまう。動けない重病人ならいざ知らず、ほとんど一日中ベッドに寝かせられ、食事とトイレ、たまの入浴時以外はだれからも話しかけられることもなく、終日うつらうつらしている老人たち。ベッドのまわりの掃除もあまり行き届かず、食事の姿勢もままならない「療養病棟」とは一体何だ。
7月6日
大熊一夫『ルポ老人病棟』を読む。
大熊氏は朝日新聞の記者。「週刊朝日」に連載されて反響を呼んだこのルポが本になったのは1988年だからずいぶん前のことだが、その内容、とりわけ「わが国では大変な数の高齢者が病院と名の付く姥捨山に捨てられる。しかも、その中のかなりの人々が医療の名に値しない扱いを受けている可能性は極めて高い。これは日本だけの現象なのか」なる指摘には衝撃を受ける。
この本によれば、「老人病棟」とは「全国に650カ所ほどある特別許可老人病院の一つである。『特別許可』とは、老人保健法によって『医師や看護の専門職を減らし介護者と称する素人の職員を増やす』ことを認められた、という意味である。70歳以上の入院者が60パーセントを超えると、この法律が適用される。老人には看護より介護が必要、という理由などからこのような政策がとられている」のだそうだ。「この、世にいう老人病院には、半年以上入院しているお年寄りだけで8万人ほどいる。もっとも、入院老人はこの種の病院にだけ集中しているわけではない。一般病院にも大勢いるので日本全国全部ひっくるめれば、その数は25万人にものぼる。特別養護老人ホーム入居者の2倍以上である」
手術後しばらくして母の移された「療養病棟」も、このなかに含まれるのであろうことがようやくはっきり分かった。この報告からすでに10年以上経っているので、この種の病棟、もしくは病院への入院老人はもっと増えているにちがいない。また、その実態もかなり改善されてはいるだろう。事実、母の入院した一般病院の「療養病棟」はここに書かれているものとはずいぶん違う。しかし基本的な考え方には変わりがないのではないか。「やっぱりそうだったのか」という思いが強く残った。
7月9日
午後1時、退院。
昨日、夏休みの終わった「療養病棟」主治医と面会をし、無理矢理に入院2カ月目の今日、退院にこぎつけたのである。ちょっと早いのかも知れなかったが、向こうから言ってくれるのを待っていたら、いつになるか分からない。
病院側は最後まで具体的な目標を示さず、「ゆっくり気長にやりましょう」などと頼りなかった。で、退院までに母がクリアーするハードルを、私は自分で勝手に決めたのだった。何回も書いたが、それはまずベッドからポータブルトイレや車椅子に乗り移れること、パンツの上げ下げのための短い時間を自分で立っていられること、できればトイレまで車椅子を押して歩けること、の3点である。そして母は、まことにたどたどしくではあるが、これを約1カ月でクリアーしたのである。
7月12日
退院4日目。母はようやく落ち着いてきた。けれどもこの3日間は、とても日記など書いている余裕のない混乱ぶりだった。それでも昼間は嬉しそうにニコニコしているのだが、夜になると、退院したことはおろか入院していたことまで分からなくなってしまう。そして興奮のあまり一晩中ほとんど眠らず、寝室と居間、ベッドとトイレの間をひっきりなしに往復する。こんなことは、病院ではやれといわれても絶対に出来なかったこと。リハビリの
PT がみたらどんなに驚いただろう。
環境が変わるということがこれほど心身に影響を与えるとは、知っているようで知らなかった。頭からすっぽり抜け落ちてしまった入退院のことも、「明日になればきっと分かるわ」と足立さんは落胆する私を慰めて言ったが、その言葉通り、翌日にはだいぶ鎮静し、3日目にはほぼもとに戻った。相変わらず寝室と居間の間を激しく往復してはいるが。見ていると、1分とじっとしていられないのだ。
7月13日
未明3時半。トイレの入り口でとうとう転んでしまった。駆けつけたときは尿まみれになって床に転がっていた。ようやくの思いでベッドまで引きずって行って寝かせた。
幸いにことなきを得たが、もう一度転んで再手術なんてことになったら、それこそおしまいだ。そういう人はけっこう多いらしく、「転ばないように」と手術をして下さった外科の主治医に再三注意をされて退院してきたばかりなのである。「やっぱり早かったのか!」の思いが一瞬胸をよぎる。
昼はともかく、夜はポータブルトイレで用をたすようにする。これまで何故そうしなかったかといえば、どんなに説明しても用意した家具調トイレ(ふたが二重になっている)の使い方がもうひとつのみこめず、ふたを開けずに用を足してしまうのである。けれども、もうそんなことを言ってはいられない。ベッドサイドにふたを開けたまま置いておくことにする。部屋が臭くなろうが汚れようが、そんなことはかまっていられない。これからは24時間の臨戦態勢だ。 |