2003年(平成15年)3月20日号

No.210

銀座一丁目新聞

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追悼録(125)

 ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」の一番の見所は、映画の後半隠れ家でドイツ将校に見つかり、ピアノを演奏する場面である。曲目はショパンのバラード第一番ト短調作品23である。思わず涙が出た。ウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・プロディ)の悲しみ、怒り、不安、恐怖の感情がこの曲にぶつけられる。ドイツ軍によるいわれなきユダヤ人への虐待と虐殺、家族の死の収容所への移送、ワルシャワ蜂起による友人達の死・・・主人公の耐え難きさまざまな思いがその旋律にこめられている。
 1939年9月、ドイツ軍はボーランドに侵攻する。その日、シュピルマンは仕事場であるワルシャワのラジオ局で爆撃に遭いながらもショパンを演奏していた。それから2年たつ。ショパンはポーランドが生んだ憂国の詩人でもあった。この曲はショパン会心の作品。同国の武人を描いた叙事詩をモチーフにしている。序奏から主題へ・・・2年ぶりにピアノに向うシュピルマンの表情も和み、不安な気持ちも消える。第二主題の美しい旋律が胸に突き刺さる。最後に情熱が爆発する。戦場のピアニストは生も死も超越してその表情もすがすがしい。
 聞き終わったドイツ軍将校(トーマス・クレッチマン)に助けられ、パンの差し入れまでされる。この将校は戦後不幸にもソ連の戦犯収容所でなくなる。シュピルマンは2000年7月88歳でなくなった。
 戦争はまことに残酷である。不条理に人間を死に追いやり家族を離散させる。すべてを廃墟にする。音楽は戦場にあっても人々に慰めを与え、勇気づける。
 富永孝子著「遺言なき自決」ー大連最後の日本人市長別宮秀夫ーのこんなエピソドがのっている。1945年5月頃、夜遅くに大連の別宮市長宅にドイツのUボートの乗組員12、3人がやってきた。士官の1人が長女の綾子さんに断ってピアノを弾いた。はじめはショパンの即興曲であった。情感豊かな、力強い、素晴らしい演奏であったという。ショパンの即興曲は一番から四番まである。特に四番はやるせない悲しさと優しさのこもった曲として知られる。彼の最後の曲は「英雄ポロネーズ」であった。別宮の妻、寿賀は小さな香水の瓶を彼らに贈った。「今になって考えてみれば、彼らはあの時、国は敗れ、絶望の淵に立っていたわけです。彼は『英雄ポロネーズ』をどんな心境で弾いたのでしょうか」と綾子さんは回想している。
 映画「戦場のピアニスト」のエンドクレジットのバックに流れる曲はショパンの「ピアノと管弦楽のためのアンダンテ・スピアナートと華麗なポロネーズ」変ホ長調作品22である。ピアノの詩人といわれたショパンだが、国を思う熱烈な気持ちが伝わってくる。ポロネーズ自体、愛国心や民族精神がこめられており、ポーランドの代表的な舞曲である。ゲットーの経験があるポランスキー監督が最後に「大ポロネーズ」を持ってきたのは、主人公が戦場でのいくたの苦難を乗り越え、生き抜いた魂を表現したかったからであろう。

(柳 路夫)

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