2003年(平成15年)2月20日号

No.207

銀座一丁目新聞

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花ある風景(121)

愛鳩会のこと 

並木 徹

 石田波郷の句に伝書鳩を詠ったものがある。「三月の鳩や栗羽を先づ翔ばす」
 「放鳩やうすうす帰る雁の列」。石田さんは戦前(昭和18年9月)応召して中国で軍用鳩の取り扱い兵になっている。「栗羽、栗胡麻等のかなしい羽色の名を知った。彼の惨たる戦争の中で私の得た唯一の美しい記憶である」と「雨覆」の後記に記している。伝書鳩は戦前、軍事用と新聞社の原稿・通信用に使われた。
我が母校、大連二中にはクラブ活動として「愛鳩会」があった。卒業アルバムにはそのメンバー10人が鳩舎前で撮影した写真がある。校舎はつい最近壊されて建替えられたが、鳩舎はそのまま残っているという。金山好甫君、伊東哲郎君、坂本致君、辻武治君などが写っている。金山君は自宅でも鳩を飼う熱心さで、勉強より伝書鳩のほうが大事であった。辻君の次兄らと大連学生愛鳩連盟を設立したというから大変なこりようである。私は剣道部であったから彼らが鳩の飼育にどのような苦労をしているのか全く知らなかった。
 2中の5年間愛鳩会で過ごしたという16回生の渋谷邦夫さんが校友誌「晨光」(36号)に「愛鳩会の人々」を書いている。このようなふれあいは今の中学生には望むべくもないであろう。愛鳩会の創設者は音楽の先生の照井隆吉さんで、秋田出身の酒豪家であった。人間的にもスケールの大きい人物であった。こんな名物先生もいなくなった。鳩の訓練は生まれて半年くらいに成長した若い鳩を、はじめは鳩舎のすぐ近くから、そのつぎは200b先の花園公園から、次は1`先の電気遊園から放すという風にだんだん距離を伸ばして伝書の役目ができるようにする。最後は夜行列車で鞍山、奉天と籠に入れた鳩を運んで翌朝「放鳩」して帰ってくる。鳩はとっくに鳩舎に帰って涼しい顔していたそうだ。波郷が指摘したように羽根の模様は大別して栗色と灰色があった。毎年に2個の卵を産み、優秀な親鳩からさらに「早く、強く、美しい」子鳩をつくということが追及されたという。

  鳩放つ日より楊は芽ぐみけり  波郷

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