中村草田男の「勇気こそ地の塩なれや梅真白」の句がある。聖書からとったものである。マタイ傳5章13節によると「あなたがたは世の塩です。若しあなた方が塩を無くしてしまったら、この世はどうなるでしょう。あなたがたも、無用のものとして外に捨てられ、人々に踏みつけられるのです」(「リビングバイブル」新約・いのちのことば社刊)
塩は人間が生きていく上でなくてはならぬものである。それと同じく、勇気、義、信義も人間とって欠かせないものである。このような句に出会うと気持ちが爽やかになり、創作意欲が湧く。
昭和19年の作である。時に草田男43歳であった。山本健吉著「現代俳句」上巻(角川新書)には「戦時中の日本人の精神的堕落、言い換えれば言論統制は、国策の線に沿這うとする先輩俳人の圧迫という微妙な形で草田男の上に覆ひかかった」とある。草田男には勇気が必要であった。
考えて見れば、万葉や漢詩と同じく聖書、神の世界が俳句の対象となっても何ら不思議ではない。塚本邦雄著「句句凛稟―俳句への扉」1(毎日新聞刊)にもかなりある。「ひかりつつ辛夷は満てり朝のミサ」星野麦丘人 「受苦節の肉屋鉤より肉の瀧」馬場駿吉 「林しづかに過去の風ふく復活祭」古賀まり子
「ユダの徒もまた復活する労働歌」加藤楸邨 「枯菊を焚き天よりの声を待つ」
小川双々子 『枯蓮を映す水あり「主は来ませり」』岡本信男
中村草田男は明治34年7月24日外交官であった父の任地、中国廈門に生まれた。3歳の時、父のアメリカ転勤にともない母親と郷里である松山に帰国した。
小学校は東京だが、中学校、高等学校は松山で過ごしている。正岡子規や高浜虚子を生んだ松山で多感な青春を送ったのは草田男によい影響をあたえたようである。大學は東大国文科をでている(昭和8年・32歳)。その著書『俳句と人生』-講演集ーを読むと、ポーロの書簡の一節「われらの予言も全からず」がでてきたりモーゼの「俺は神を見た」の話が出てきたりする。聖書にも関心があったのであろう。草田男に触れてこの有名な句を落とすわけにはいかない。「降る雪や明治は遠くなりにけり」東大の学生時代の作である。昭和58年、82歳でこの世をさった。
(柳 路夫) |