2003年(平成15年)2月1日号

No.205

銀座一丁目新聞

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ある教師の独り言(14)

-校長,教頭そして・・・−

−水野 ひかり−

 今年はじめに体を壊して私は入院した。入院のショックは大きかったが、自分の人生が変わるほど沢山の体験、経験が出来たので良かったことと捉えようと思っている。入院生活は二ヶ月程だったが、その間同じ病室の人たちや看護師、医師と関わって色々な事を考えさせられた。
 A医師は私がいた病棟の主任である。回診時は言葉すくなで説明不足。これから患者として何をすればよいかを聞いても,特に答えてはくれない。
 医者の自分がやっているのだから黙っていろ。と言った様な態度が見えてどうしても感じの悪い思いを毎回していた。
私が退院した後、入院中に親しくなった人の中で別の病院へ再入院したと知らせてくれた人が二人いてその人たちのお見舞いに伺った時の事だ。
 その方達は二人とも私が入院していた病院の悪口を言った。担当医の物言いが良くない。こっちが聞いていることに一つもはっきりした説明が無かった。
 挙句の果てに再入院することになってしまった。病棟の患者にそれぞれ担当医がつくがその医師達を指導し、組織していくのがA医師の役目である。私は二人に「確かにB先生もC先生も問題ありの感じがしたけれど、A先生の責任じゃないかな。」と言った。実はこんなことがあった。
 私の担当のD医師が月曜の朝の回診時に今週末に退院して良い事を私に告げた。喜んだ私は友達に連絡して、土曜日に迎えに来てくれるようお願いの連絡をとった。その後A医師とD医師が連れ立ってやってきて、明日退院してほしいと言った。突然のことで私が手伝ってくれる人がいないと言うと、A医師「それじゃあこうしましょう。タクシーを呼んであげます。荷物もタクシーまで運んであげます。貴方の家に付いてからはどうすることも出来ないけれども。」と平然とした顔で言うのだ。私が松葉杖が取れたてでマンションの4階に住んでいる事を知っているはずの、医師の言葉だった。意地っ張りの私のことである「分かりました。」と、きっとした態度で言った。その後さらに唖然とした事が起こる。看護師が来て、今週から来週にかけての検査の日程表を置きに来たのだ私は別の病気を別の医師に見てもらっていたのだ、「明日退院しろって言われたからこの検査受けられないです。」と言う私。看護師が慌ててナースステーションに戻った。30分してD医師がやってきて「土曜日までいてください。」と言った。A医師がやってきて「水野さんすみませんでしたね。D君が検査の確認をしていなかったものですから。」と言った。私は心の中で納得してしまった。ことは主任の資格は無いと。
 A医師は腕利きの良い医師であると思う。私の手術の結果は良好で、傷跡も結構きれいで順調に回復できた。でも医師はそれだけで良いのだろうか。増して病院と言う大きな組織の中で患者と向かい合い、後輩医師を育てていく役職になったら自分はどうすべきなのか自覚し、行動すべきではないのか。しっかりとした主任のしたでなければきちんと患者に対応できる医師は育ちにくいのではないか。勿論本人の人間性にも関わってくるが。二人の話を聞いてこう思った。学校も同じである。

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