2003年(平成15年)2月1日号

No.205

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(4)

−競馬場から遺跡続々− 

 改築工事中の東京競馬場から、遺跡が続々と出土している。その一部はすでに紹介したが、書き足りないこともあった。その後に判明したこともある。そこで改めて整理してみたい。まだ発掘調査報告書が刊行されていないので、概略的なことになる。というのも、発掘個所も出土物も多いからだ。いたるところが遺跡だといってもいい。馬場の改修工事が行なわれている最中なので、馬場内から取り上げる。
 まず、内馬場の南東部。昨年秋、弥生前期末(約2200年前)のものと見られる石器や土器が多数出土した。土器は遠賀川系土器(九州北部が起源)で、関東には稲作導入とともに広まったとされる。壷形土器も見つかっている。これは遺体の埋葬後に掘り出した骨を、再び埋葬する際に納めた「再墳墓」とみられる。住居跡も見つかっている。そのため、競馬場にあたる場所には、かなり広い集落があった、と推測されている。この発掘場所の近くは、ふだんはファンに開放され、家族連れの遊園地にもなっている。競馬開催日の日曜には、子どもに人気のミニSLも走っている。そこから内馬場の西寄りにかけて馬券投票所があるが、このあたりからも弥生土器・石器が出土しているほか、古代(奈良・平安時代)の住居跡も多数見つかっている。西門へ通じる地下道の工事区域である。
 競馬場のある地域は、北側に広がる台地より低い。大国魂神社のほうから行くと、坂を下ることになるのでお分かりだろう。大国魂神社をはじめ、国府の役所はもちろん関連施設は台地の上か、台地の崖線上にあった。人々が多く住んでいたことは、多数の住居跡が発掘されたことでも分かっている。それが下の低地からも遺跡が発掘されたことで、競馬場内の遺跡調査は注目されているわけだ。なお、スタンドの北側、パドックの近くからは、6世紀(古墳時代)の土器(食器やカメ、カマドなど)も発掘されている。府中に国府が置かれる時代よりも以前から、人々が暮らしていたことになる。調査報告書がまとめられるのはまだ先のことだが、どんなことが明らかになるのか注目される。
 今年、東京競馬場は開設70周年を迎える。その歴史を回顧するつもりが、古い遺跡のことまでに眼を向けることになってしまった。それも府中界隈を歩いているうちに、そうなったのである。レースに熱中するファンは、遺跡のことを知らない。古代の人も、今の競馬ブームなど、もちろん想像もしなかっただろう。競馬場というのも、おもしろいところである。

(戸明 英一)

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