2003年(平成15年)1月20日号

No.204

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(3)

−府中散策(続)− 

 府中の歴史は古い。といっても、特に昔の町並みが残っているというわけではない。歴史は、ここでは地中に残っているのだ。遺跡の多いことが、それを物語っている。そのことを感じさせたのは、競馬場の敷地から土器が出てきたのを知ったときだった。
東京競馬場の改修工事が始まったとき、敷地の西北部に当たるパドックの西側から、古い土器などが出てきた。そのため工事は中断された。遺跡の発掘は文化庁に届け出る義務があり、発掘の作業や管理についても指示に従わなければならない。見つかったのが、たとえ土器の類でも、埋蔵文化財とされる。埋蔵文化財の種類には、古墳や住居跡などのように動かすことの困難な遺構と、土器などの持ち運び可能な遺物とがある。この遺構や遺物が発見される地域が遺跡で、文化財保護法では埋蔵文化財包蔵地と呼んでいる。つまり東京競馬場の一画も、実は埋蔵文化財包蔵地なのだ。
 「府中市遺跡地図」というのがある。それを開いて見ると、確かに競馬場も含まれている。競馬場内には縄文時代の集落跡があったともいわれる。縄文時代とは、また古い話だ。府中は暮らしやすい土地であったようだ。多くの人が住み、関東でも重要な土地として栄えたことは、ここに国府が置かれたことでも知ることができる。701年(大宝元)に大宝律令が制定され、律令政治が始まったのに伴い、諸国に設置された役所が国府で、武蔵国を治める国府が府中に置かれた。それも大国魂神社の敷地にあり、ここを中心に栄えた。府中の地名は、「国府の中」に由来しているそうだ。
 国府の中心は、大国魂神社東側の京所(きょうず)と呼ばれる一帯にあったとされている。国府関連の遺構からは、役人たちの館跡も発見されている。また、国府に関わって集まった人々の住居跡や工房跡、墓などが見つかっている。それらの場所にほど近い競馬場の敷地の一画から、遺跡が発掘されてもおかしくないわけだ。それにしても、遺跡が見つかったために、競馬場の改修工事は、再開までに1年近く手をつけられなかったというから、ちょっとした遺跡騒動だ。
ところで、遺跡発掘と直接の関係はないが、競馬場の改修工事について触れる。ファンに長く親しまれてきた、庭園の「ひょうたん池」。あの池を、工事のついでに埋め立てるそうだ。大雨の日など水が溢れるからというのが理由で、湧水は地下の水路に流す計画だという。池を残しても水の調節はできそうに思われるが、どんなものだろう。工事とは、環境を壊すだけのものではあるまい。散策の名所が、ひとつ消えるのは寂しい。府中を歩きながら、そんなことも想った。

(戸明 英一)

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