1999年(平成11年)2月20日

No.66

銀座一丁目新聞

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ゴン太の日記帳 (31)

目黒 ゴン太

 人と会話する、対話する際、その対話する相手が、自分があまり面識が無い場合や、あまり気心の知れない場合、とても目上の人であったりすると、自分は、異常に思える程、緊張していることに気付かされる。又、同じ年頃で、普段から、よく共に遊んだり、話したりする相手であっても、その対話時に、相手の人数が多かったりすると、同じ様に緊張というが、気を抜いて話すことができなかったりする。

 憶測ではあるか、個人差は有るにしても、皆、こうした緊張感を味わっていると思う。しかし、最近、この緊張感は、大半が、個人の持つ差で、良くも、悪くも、相手に伝わるのではないかと思うのだ。

 別に、対話とか、会話とか、漢字で書く必要性はない、とりあえず、誰か人と話す時、なのだ。そして、問題は、自分が苦手とする相手を前にした時に、緊張感、くだいて言えば、普段、あまり汗をかかない所に、冷や汗みたいなものを感じながらでも、話さねばいけない状況において、個人差で、又は、その人が持つキャラクターの柔軟度で話しが違ってくるのだ。その違いについて言えば、例えば場慣れして、苦手とする相手に対処する術を知っている者、又は天性で、その状況で、最適の表情、言い方、言葉使いを心得ている者は、いくら、自分が苦手としていても、相手に不快な気を与えること無く、会話することができ、又、自分の考えや要求を臆することなく伝えることができる。つまり、彼らは、前述の、自分が持つ異常な緊張感は、自分の中のみでコントロールするのだ。自分の場合まだ、その緊張感をコントロールすることはできていなく、少しずつ表に出ている気がしているいる。その少しの心の動きを、相手に読まれて、相手にも、不快な気持や、警戒心を抱かすようにしてしまっているのかもしれない。気付いた時から、自分は、訓練している、苦手な相手に、考えを伝えて自分を表わすように。

 

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