新聞記者時代、「国民の知る権利に答える」を念頭において取材してきた。昨今その権利のあり方が様変わりしてきたように思える。その傾向が拉致問題取材に顕著に表れている。横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさんや曾我ひとみさんの家族へのインタービュー記事に対する被害者家族や支援者らの反発が極めて強い。前号(11月20日号)でも取り上げ、記事に対する批判は取材原則に照らして的外れであると主張した。
今回は「国民の知る権利」から論じてみたい。この権利は本来は「報道の自由」を支えるものである。公共の事に関して国民が判断を迷わないために的確な情報を知る権利である。新聞は政治、経済、社会を問わず、情報を伝え、国民が判断し行動できるようにしなければいけない。そのために「報道」「解説」「評論」の機能を持っている。新聞は民主主義にとって不可欠な存在である。政治がらみのスキャンダルを報道するのは、国民に判断材料を提供するためである。新聞社は私企業であるが、公共のために尽くしているという意味で「公共性」をもっているといえる。
このような立場からインタービュー記事に対する批判を検討してみる。
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