花ある風景(113)
並木 徹
送られてきた「現代俳書カレンダー」を何気なく見ていたら、9月の暦に墨書きで「晴れすぎて誰れもいない草の花」谷子 の句が飛び込んできた。凄い句だと思った。衝撃が走る。具体的な言葉として出てきたのは何故か「孤高の志」であった。その次に芭蕉の「この道や行人なしに秋の暮れ」が浮ぶ。この句は私の最も好きな句である。
父横山白虹、母房子。ともに著名な俳人を両親に持つ寺井谷子さんにとって、俳句の道は奥が極めて深い。彼女自身の目標も高い。精進しても精進してもたどり着けない。「この道に行く人なし」の感想を持たざるをえないのではないかと推測する。「誰もいない」の字足らずは絶妙の間をつくる。稟とした静寂を感ずる。芭蕉の句には暗さがつきまとう。谷子さんは明るく前をみつめている。屈託がない。性格なのであろう。
「この道や・・・」の芭蕉の句には思うところがあってという意味の「所思」の題がある。「芸術家の道は所詮は孤独である。天才的であればあるほど、その行く道は一層孤独である」(日本古典文学全集・松尾芭蕉集より)。と解説書にはある。元禄7年(1694年)9月の作である。芭蕉51歳であった。
最近、谷子さんが出した句集「人寰」(毎日新聞刊・平成13年2月)で「草の花」を探すと四句あった。 「身ほとりのことの大事や草の花」 「草の花西には雨の匂いして」 「生死という不思議の中の草の花」 「草の花身の巾過ぎる風吹きて」
白虹には「草の花乳垂る花も折りにけり」(海堡より)がある。いずれも味わいがあるが、始めにあげた句に軍配をあげざるをえない。
谷子さんが意識すとしないにかかわらず、今ひとつの壁にぶつかっているのではないか。いわゆる俳句らしい俳句にあきたらず、楽しみながら5、7、5の世界に新しい短詩を織りなそうと努力しているようにみえる。その気持ちの表白が「晴れすぎて・・・」の句だと思う。そういう意味であればこの句は後世に残るものである。芭蕉が死んで308年も立つ。そろそろという気がしないでもない。
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