渡辺淳一さんの近著「キッス キッス キッス」(小学館刊)に連合艦隊司令長官山本五十六大将〈海兵32期)のラブレターが紹介されている。宛名は元新橋芸者河合千代子さんである。山本大将は昭和18年4月18日、ブーゲンビル島の上空で米P38戦闘機に邀撃されて戦死した。59歳であった。葬儀は国葬。武人として最高の栄誉を与えられた。
その山本大将がラブレターを書いたからといってべつに不思議がる事はない。筆者などはますます山本大将が好きになる。人間味豊かな人であったようである。隠し芸あるいは趣味は広く、バクチ好きであった。玄人に近い和歌などのほか淡海節、ちゃきり節、浪花節も上手かったという。二人の愛人もいた。そのひとりが千代子さんである。
児島襄著「指揮官」(上)によると、部下に対する思いやりはひとしおで、「赤城』艦長時代〈昭和3年10月)、訓練中帰艦がおくれるパイロットがあると、いつまでも艦橋に立ちつくした。殉職と知ると、涙を流して哀悼し、無事帰艦したときでも涙で迎えたという。
阿川弘之はその著書「日本海軍に捧ぐ」(PHP文庫)のなかで面白いエピソードを紹介する。山本大将は花柳界で、黙って茶目をするので「だま茶目」と言うあだ名があった。米内光政〈海兵29期・海相、首相)は山本さんの人柄を聞かれると「茶目ですな」と一言で答えられたそうだ。昭和5年5月、モンテ・カルロからパリの佐藤市郎中将(海兵34期・当時大佐、佐藤栄作首相の兄)にあてた手紙に「『THE MEMOIRS OF DOLLY MORTON』を午前3時までに耽読終了しました」と書いた。阿川さんにはこの本がどのようなものか調べたがわからなかった。それが新聞記事がヒントでアメリカ版「四畳半襖の下張」であるのを知った。作者は未詳で「わが愛しの妖精フランク」とともにポルノグラフィの古典的名著と言われる。阿川さんは「この種の本としては秀作である」と感想をつづっている。
山本大将が千代子さんに手紙を出したのは51歳のとき。当時中将で、航空本部長の職にあった。まだ若い。91歳でなくなった元老西園寺公望は「煩悩は死ぬまである」とのたもうている。
(柳 路夫) |