2002年(平成14年)11月1日号

No.196

銀座一丁目新聞

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ある教師の独り言(5)

−水野 ひかり−

 B子は人前でもものを言うことが出来ない。日直で号令を掛けるときでも小さな声で掛けて意地悪な友達に「聞こえません」と言われればますます小さくなってしまう。だから私が始めた国語の授業形式が苦痛で保護者会の後で母親から「明日は国語があるから学校に行きたくない」と言うこともあったとも聞いていた。国語の時間を中心に全員が発言出来るようにしていこうという私の提案に多くの子どもは興味を持ち意欲的に取り組み始めたけれども、B子のような子にとってはとても辛い提案出会ったろう。私自身箱の指導法に意欲的で半ば強引に進めていたので、神経こまやかなB子の気持ちなどお構いなしだった。B子の書き込みにも良いものが沢山あった。
大造じいさんが仕込んだおとりのがんがはやぶさに襲われる。それを助けに行く残雪。責任感の強さにふれ、自分にない強さに憧れる自分と無理だと思う自分を素直に文章化していた。その他にも自分の日頃思っている自分の弱さを上げながらそれを克服出来るきっかけを探るようなけなげさが伝わってくる内容の文を沢山発見する事が出来た。そのような素晴らしい書き込みはその子と私だけで分かちあうだけではもったないと思い、学級通信に載せてクラス全体でわかち合うようにした。クラスの子どもたちもB子の良さを認め、みんなのの前でも少しでも大きな声でよい書き込みが発表出来るようがんばれと頑張れと励ます子どももいた。そんなムードの高まりの中でB子ずつ変わっていった。B子の時だけではないが、発表する人に注目して聞く、聞くときはは頷きながら聞く。(疑問に思う場合は?のマークヲプリントにつけ、後で質問するが、露骨な態度ヲ表情にださない)が授業の約束でした。自分の思いを友達がしっかり受け止めて聞いてくれる。それが大きな安心につながり自信に変わっていった。こんなことがあった。勢い良く手を挙げて指されたB子だったが立ったとたん自分が何をいうのだったかわすれてしまったようだった。沈黙が続く。私もどうしようか別の子どものいうように指示しようか,悩んでいた。
すると、同じグループのリーダーのC子が立ち上がってB子の背中に手をあてて「B子ちゃんこの文、声にだして読もうよ。きっと忘れたのを思い出すと思うよ」と言った。すると、他の子が「先生皆でもう一度読もうよ。ここ名場面だから意見のある人ももっと広がるかもよ」といった。そして全員で読み、その後、ゆっくりした口調でB子が自分の思いを発表した。すると、A男が「先生、Bの発表で俺十分感動したこの場面の勉強ー満点!」と言った。
私が「他の人は?他の人もここの場面での思い言っても良いよ」というと、D男が「先生欲張りだな。今最高なムードなのに」と言って皆で笑うのであった。後でB子は私にこう語った。「あのときは本当にどうしようかと思った。怖くて逃げ出し大けれど身体が震えて喉も体中も凄く熱くなって自分はどうなってしまうんだろう、と思っていた。そしたらCちゃんがたすけてくれて・・・それまでクラス中が馬鹿にしていると思っていたし、みんなの目を見るのが怖かったけどCちゃんの手とってもあったかくてそれでだんだん落ち着いてきた。みんなの目も見れてみんな優しい目だって思った。みんなと文を朗読しながら、あっこれを言おうととしたんだっておもいだした」ーこの様な教師以上にしっかりした子ども達に私は助けられることがたびたびあるがこのときは本当に救われた思いがした。
子どもが学級で辛い思いを抱え、ときには命まで絶ってしまう悲しいニュースを耳にする度、私は運がよいだけなのかもしれないと思う。下手をすればB子は強引な私に追い立てられ、行き場をなくしていたかもしれない。授業が変わると子どもは確かに変わっていく。子が変わるのをみるのは楽しい。一人になって子どもことを思い出して、その成長が嬉しくて笑ってしまうことがある。しかし、喜んではいけないのだ。常に冷静なもう一人の自分をそばに置いて今かかわっている子ども達の思いは、様子は、行動は等どうなのか見つめかんがえられなければいけない。自己満足授業ではいけないのだ。

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