2002年(平成14年)10月20日号

No.195

銀座一丁目新聞

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追悼録(110)

 大連二中の10回生である推理作家、鮎川哲也さんがなくなった(9月24日、享年83歳)。ニ中の全国大会が開かれる博多に向う「のぞみ」の中で同行の菅省さん(18回)からその死を聞いた。菅さんは、「大連一中には島田一男、五味川純平、清岡卓行などの著名な作家がいるがニ中には誰もいないね」と言われたとき、友人から「ニ中にも鮎川哲也がいるよ」と聞かされたので覚えている。しかも最近「ペトロフ事件」を読んだばかりだという。
 「ペトロフ事件」は昭和25年、「宝石」の百万円コンクールで一席に入選した作品である。小説の舞台は、私が小学校と中学校を過ごしたハルピンと大連である。60年には「黒い白鳥」「憎悪の化石」(いずれも鬼貫警部が登場)で日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を授賞している。ちなみに「探偵作家クラブ」は昭和23年6月、江戸川乱歩を会長に設立された。
 本名は中川透で、東京生まれだが、小学生3年生の時、満鉄の測量技師となる父親と一緒に大連に移っている。大連ニ中の名簿には名前だけで卒業の小学校も住所も空欄になっている。鮎川さんが探偵小説に興味を持ったのは中学時代からで、旅順の図書館まで足を運ぶなど探偵小説を読み漁っている。小説を書き出したのは、東京の上級学校に進学したあと、肋膜炎を患い、大連に帰省、療養中からである。
 ここに私は大連二中の伝統である負けじ魂をみる。体を壊しても無為徒食をしたくない。くたばってなるものかという鮎川さんの負けじ魂を感ずる。みんな体に負けじ魂が染み付いているようである。私と同じクラスの17回生、辻武治君(福岡在住)は徴兵検査のとき「君の好きな言葉は何か」と聞かれて咄嗟に出てきたのが「負けじ魂」であった。「それは何か」との徴兵官の問いに「ニ中の校訓です」と答えた。振りかえってみれば、筆者がマスコミの世界でがんばってこられたのもこのニ中の校訓かもしれない。
 1990年(平成2年)から選考委員のひとりとなって創元社の協力で「鮎川哲也賞」を設け、新人発掘のために努めている。ニ中出身者は心ひそかに誰もが世のため、人のために尽くしたいと思っている。校歌にある「務めを果たす人とならん」が心にしみついているからである。
 手元には鮎川さんの本は3冊しかないが、これから買い足して全作品を読むつもりである。

(柳 路夫)

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