大連二中の同級生、栗山五郎君が亡くなった(9月16日)。突然の死であった。10月9日、博多で開かれる私達17回生(昭和18年3月卒業)の全国大会には欠席のハガキをよこした。それには「前日に大阪で海軍同期の全国クラス総会があり。引き続き分科会等のため『となかい』(17回の愛称)参加は難しいと思います。残念です。祈盛会。みなさまによろしく」とあった。
栗山君は海兵75期(昭和18年12月1日入校)であった。私達の仲間の山田豊君(故人)、湯下賢君も海兵75期である。私はその年の4月に陸軍予科士官学校に59期生として入校、訓練や学科の勉強に明け暮れていた。振武台(埼玉県朝霞)で3人が海兵に進んだのを聞いて喜んだのを覚えている。
彼ら海兵75期3480人が昭和18年12月1日、江田島の千代田艦橋前で入校式を行った日、私の所属した第23中隊は第2中隊と東校庭で棒倒しの対抗戦をやっている。成績は1勝1敗であった。棒倒しは、相手を殴ること、ける事一切自由であった。しかも上下を問わなかった(2年に58期がいた)。決死敢闘精神と中隊の団結心を養うためである。負けても勝っても終わった後は気分は良かった。よく棒倒しをやった。奇しくも同じ23中隊の第3区隊には2年から東京幼年学校に行った加藤四郎君がいた。
海兵には五省がある。夜自習時間のあと、勅諭五箇条奉読のあと五省を問いかける。1、至誠に悖るなかりしか 1、言行に恥ずるなかりしか 1、気力に欠くるなかりしか 1、努力に憾みなかりしか 1、不精に亘るなかりしか
陸士の場合、毎朝、点呼のあと、校庭の一角にある雄叫神社に参り、軍人勅諭五箇条を奉読するのを日課とした。神社の主祭神は天照大神で、同期生大会も社前で行うなど士官候補生の心の拠り所であった。
平成8年10月、古希を迎えて、記念誌「となかい」を出した。その中で栗山君は海兵時代に鍛えられたモットーを記している。1、オールウエイズ・オン・デッキ 2、勝つと思うな負けじと思え 3、左警戒右見張れ 4、言い訳をするな 5、五分前にはスタンバイ 6、もう一歩・捧げ銃・帽振れ(トイレにおけるスモールのマナー)
これは栗山君の遺言ともなった。陸と海の違いはあっても同じ軍人の道を進み、敗戦で挫折した共有の痛みを持つだけに栗山君には深い近親感を持つ。戦後、栗山君は建設業界に身を投じ、日本再建に尽くした。大陸育ちのこせこせしない態度は好感をもたれたと聞く。享年77歳であった。
(柳 路夫) |