2002年(平成14年)10月10日号

No.194

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(25)

−癒される時間− 

 東京・日野市の老人保健施設で、馬2頭を購入して「アニマルセラピー」を始めるという。緊張を和らげて体の回復を助け、馬という共通の話題で人間関係を潤す効果が期待されている。犬や猫、うさぎなどの小動物ではなく、馬という動物が着目されている点が面白い。触れ合いを療養に役立てるのだから、馬は小型でおとなしく、人になつきやすい「オーストラリアン・リトルホース」という種類の1歳馬。成長しても体高は約70センチ。体高が160センチはある普通のサラブレッドに比べ、半分以下の大きさ。小柄なだけでなく、おとなしくて人になつくから、施設のお年寄りにも親しみやすい。「ニンジンを食べさせてあげる楽しみ」を口にするお年寄りもいる。こうして馬と人との交流も生まれる。施設のお年寄りにとって、それはかけがえのないものだろう。
「オーストラリアン・リトルホース」ほど小型ではないが、日本の在来種を「ホースセラピー」として役立てているところもある。愛媛県今治市の例などは、以前にも少し触れた。日本列島の在来種の1つである野間馬の保存のために、放牧場や乗馬広場を造っているのだが、地元小学校のクラブ活動や「ホースセラピー」にも役立てている。体の健康な人でも、乗馬など馬に接する時間を持つことで、癒されるものがあるという。
この話を話題にすると、同感の意を示す人が、特に高齢者に多い。だが、「わざわざ遠くまで行く元気がない」とも言う。そこで、Aさんなどは、「近くの競馬場へ出かける」のだそうだ。在来種ではない、サラブレッドを見に行く。「元気に走る馬を見ると、元気を分けてもらえるような気がする」と洩らす。70代のAさんは奥さんに先立たれ、今は一人暮らし。病気を抱え、何事にも気力を失いがちの毎日である。そんなAさんが、晴れた日の日曜日には、やや不自由な脚をかばい、杖を突いて競馬場へ出かける。もちろん少しばかり馬券も買い、一喜一憂する興奮のひとときも持つ。Aさんの話を聞き、僅かだが持つに至った「自分の時間」というものについて、改めて考えさせられる気がした。
仕事からも離れ、老い先の短いことを悟らざるを得なくなった人は、特に「自分の時間」を持ちたいと、切実に考えるようである。無為のうちに過ごす「時間」はむなしく、空白といっていい。その「空白」を、何かで満たしたいと願う。その切実な願望に突き動かされ、晴れた日には杖を突いて出かけるのである。
このAさんの例について、競馬は別だ、という人がいるかもしれない。「ギャンブル」であり、「趣味」であると。だが、そのような捉え方では、少なくとも人間理解にはなり得まい。それにしても、馬とは不思議な動物である。なぜ、人は馬に親近感のようなものを抱くのだろうか。考えてみると、遠い狩猟生活や農耕生活の時代から、人は馬とともに暮らしてきた。長い共存の歴史がある。人の意識の底に、馬に対する格別の想いが潜んでいるように思われるのも、文化の歴史に根ざしているのかもしれない。

(宇曾裕三)

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