2002年(平成14年)7月20日号

No.186

銀座一丁目新聞

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追悼録(101)

 亡くなった山本直純さん(6月18日死去、享年69歳)とは楽団将棋連盟の会長(平成元年)になってからの付き合いである。この連盟はオーケストラの団員で将棋の好きな方々の集まりである。歴代のスポニチの社長が会長になる慣わしであった。毎年12月に「駒音コンサート」を開く。第一部は直純さん指揮のオーケストラの演奏、第ニ部が将棋連盟の著名棋士たちの「ノド自慢大会」である。入場料をとったが、毎回ほぼ満席に近い将棋フアンが詰め掛けた。企画から段取りを一切直純さんが取り仕切った。 ハイライトは舞台のそでで行う楽団員と女性棋士たちの手合わせである。それを大盤解説までする。フアンにしてみれば、素晴らしい音楽を聞くだけでなく、好きな将棋まで楽しめるのだから、暮れの最高のプレゼントであった。
会えば、すぐだじゃれをとばすし、つぎつぎにアイデアをだす。気さくで、人を和ませる方であった。「音楽を食べるのにナイフもフォークもいらな」(アルトゥール・トスカニーニ)という名言も、トスカニーニが直純さんの頭の中に乗り移ったように出てくる。
 いつも、やすいギャラでオーケストラを引っ張り出してきているのも直純さんの人柄である。「スポニチが儲かったらもっとギャラを出します」といったが、その約束もついに果たせなかった。
 その著書「ボクの名曲案内」で「子供のころから、もしボクが大音楽家になって死ぬとすれば。『聞けばわかる!』と言って名曲を残し『直純死すとも音楽死せず!』と叫んで指揮台からスッテンコロリと落ちてみたい、と思ったものだ」と書いている。数々の名曲を残した。聞けばわかるものばかりで、ジーンと心にしみ通る。直純さんの芸術は永遠だ。将棋5段(平成元年2月1日、大山康晴日本将棋会長よりいただく)の筆者が言うのだからまあ信用してもよいでしょう。

(柳 路夫)

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