2002年(平成14年)7月20日号

No.186

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(54)

-大胆で奇怪?

芹澤 かずこ

 

 買い求めた手相の本によると、ごく並みだと思っていた私の手相は、生命線と頭脳線の根元が離れていて、離れている人は全体の一割くらいとか。そして、その幅が離れているほど大胆な奇怪な行動を取るのだと書いてある。
 新明解国語辞典によると、大胆とは、「普通の人なら怖がったり、遠慮したりして出来ないことを、思い切ってやってのける」とあり、また奇怪とは、「どうして起こったか人間の知恵や常識では考えられない様子、不思議」とある。現在に至るまで世間を騒がすような行動や現象を起こしたこともないし、自分では普通の大人しい性格だと思っているが、側の見る目は違うらしい。これを書くにあたって周りの者にリサーチを試みた。
 「そうですねえ」と言う前置も何もなしに、即、「大胆です」との答えが返ってきた。どうゆう風にと具体的には言えないけれど、とに角、大胆だという。自分ではどうも合点がゆかない。これが強情だ、融通が利かない、とでも言われるのなら多少、その気がないわけではないと納得もしょう。
 ちょうど、お盆に来合せた娘に、この話をすると、ママは他人のことは鋭く観察して描写している割には、自分のことを客観視していないのではないか、と言う。父親が突然他界した時に、自分たちの事よりも世間知らずの母親がこの先どうなるのかと心配した。夫も生前、事あるごとに万一の時はママを頼むぞと言っていたとか。その心許ないとばかり思っていた私が、百ヶ日の法要を済ませたら、仕事を始めると切り出した時、周囲の者たちは少なからず驚き、不安を持ったのだそうだ。その、見かけと行動とのギャップが大胆だと言われる所以ではないか、と。
 確かに夫の生前は専業主婦に甘んじていた。でも、その傍ら、家を事務所代わりにして、本業以外の仕事もこなすようになった夫の、原稿の口述筆記、講演やテレビ局へのお供、スケジュール管理、経理なども手がけていたので、自分では唐突に仕事を始めるといった感じは少しもなく、むしろ今までの延長線上であった。自分を客観的に見るのも難しいが、他人に自分を理解して貰うことも、これまた難しい。
 自分では普通だと思っていることが普通に受け取られない。この「普通」の定義がその人その人の性格や人生観や環境などによって違うのだから致し方ないのかも知れない。自分流に分析してみると、のんびりした面もあれば、結構、短気な面も持ち合わせている。臆病でもある。人見知りも烈しい。何を始めるにも最初は自信なんてまるでない、一つ一つこなして身につけてゆくといったタイプ。隙(すき)がない、と言われたこともあるが、自分では隙だらけだと思っている。しっかり者にも思われるらしいが、ちっともしっかりしていない。でも恐がりだから用心だけはいいつもり。一旦言い出したらテコでも動かない、とこれは娘の弁。こんな私のどこが大胆なの???



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