メイが目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。列車は音も立てずに走っている。
メイは、そうっと窓の外をのぞいて、あっと息を飲んだ。
すぐそこに、大きな三日月がのっそりと構えていた。月は海原に浮かび、水面では月の雫がキラキラと砕け散る。さざ波は金色に輝いていた。
どこからともなく、心地よい音の旋律が、列車の中に流れ込んでくる。きっと駅の到着を告げるものだろうと、メイは思った。
月の駅では、物売りたちが列車の到着を待ち受けていた。
月見だんご屋、花屋、夕飯屋、月の雫屋・・・色とりどりのカゴをかついだ男女がにぎやかに動き回っている。
一人の物売りが、ケンとメイの所に寄ってきて、窓をコツコツと叩いた。初老の男だった。
ケンが窓を少し開けると、男は顔をのぞかせて言った。
「おみやげにベクトルはいかがかな?」
男のカゴには“ベクトル屋”と書いてある。
「おみやげ?」ケンが聞き返した。
「現実世界へのおみやげにとてもいいよ」
男は、カゴの中から大小さまざまな矢の形をした“ベクトル”を取り出した。
「それ、何?」ケンはたずねた。
「力の方向」と、ベクトル屋は答えた。
ケンは身を乗り出し、大仰な造りの矢を手に取った。すると、ベクトル屋は、
「男らしいいい物を選んだね。若いのにお目が高い」と、感心してみせた。
それは、“権力”だった。
「ただし、使いこなすには技能が要る。取り扱い注意の印が見えるだろう?」と、ベクトル屋は言った。
「どうして、取り扱い注意なの?」ケンがたずねると、
「時に、もろくも崩れやすいからさ」と、ベクトル屋は答えた。
さらに、ベクトル屋は、華美な矢を一本、ケンに差し出して言った。
「“金力”はどうだろう?」
すかさずメイが、
「取り扱い注意の印があるわ」と言って、そっぽを向いた。ケンは、困った顔をした。
ベクトル屋は、メイの顔をじっと見ていた。それから、カゴの奥を手探りした。
「特別に、条件つきのベクトルがある」と言って、ベクトル屋がメイに差し出したのは“神力”だった。力を尽くした者にだけ、天が力を貸してくれるという条件だった。
「頑張れば、神様が味方してくれるのね」と、メイの表情がぱっと明るくなった。だが、ケンは心配げに言った。
「メイ、頑張ることないのに・・・」
しかし、メイはすっきりと笑った。
「ケンは、さっきの強そうなベクトルを選んでいいんだよ」
「どうして?」
「ケンがベクトルを上手に使いこなせるように、私が頑張って応援するんだから」
「でも、本当はいやなんでしょう?」ケンが問いかけると、メイは首を横に振った。
「私はね、ケンの選択が信じられるんだ。・・・もし私が男だったら、そうすると思う」
ケンは黙ったまま、何か考えていた。そして、ベクトル屋にたずねた。
「守る力とかないの?」
すると、ベクトル屋はためらうことなく、“戦力”をケンに手渡した。条件付きの印があった。大切なものを守るためだけに力を発揮するという条件だった。
「それに、勝つか負けるかは、自分の力次第」と、ベクトル屋は最後に加えて言った。
うつらうつらしていたと思う。メイが気づくと、列車は夜の街の中を過ぎていく。車窓の遠くに、みなとみらいのイルミネーションがのぞいた。
「もうすぐ横浜駅だよ」と、ケンの声がした。
メイは窓の外に目をやって、ガラスに映るケンの顔を見た。
「ケン、私は夢を見ていたの?」
ケンは、窓越しのメイに笑いかけた。
「ちゃんと覚えてる?」
「うん、ぜんぶ覚えてる」
「じゃあ、本当のことだよ」
メイも、ケンに笑いかけた。
「楽しかったね」
「また行こう」
メイは、嬉しい気持ちだった。
「・・・現実と夢を行ったり来たりするの、サイコーだね」
メイが言うと、ケンは大きくうなづいた。
「サイコーだ」
二人は、互いの手をしっかりと握りしめた。
日曜の夜の駅構内は、閑散としていた。ビル群の合間に、金色の三日月が優しく笑っている。
(おわり)
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