2002年(平成14年)6月10日号

No.182

銀座一丁目新聞

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花ある風景(96)

 並木 徹


 ケンアマドのひとりオペラ「トスカ」をみる(5月31日・東京・新宿、安田生命ホール)。
 トスカといえば、歌姫トスカと画家カヴァラドッシの悲恋を描く、ブッチーニ作曲、三幕の歌劇である。編曲は吉川郁郎、脚本はケンアマド。それを一人でオペラを演じるのはこれまで見たことがない。興味を持って会場に足を運んだ。
 舞台は、ナポリ王国から派遣された特高警察の警視総監、スカルピアが胸から血を出して倒れているところからはじまる。「死刑執行人」としてローマ市民に深く恐れられており、トスカにも食指を動かしている人物である。ローマのつづりを逆にすると、「愛」(AMOR)になるというこの美しい町で何が起きたのかと、観客に興味を抱かせる幕開けである。バックはおなじみのピアノ 吉川郁郎 ダブルバス 山口良夫 ヴァイオリン 工藤晴彦 パーカション 市村誠司。舞台の前に位置するオーケストラとはまた違った味わいのある演奏であった。

 時は1800年。2年前、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がイタリアに侵攻し、北イタリアを支配していたオーストリアを排除、教皇領であったローマやナポリ王国をも影響下に置き、共和国政府を樹立した。ローマ共和国の誕生である。ちなみに、日本では10代将軍徳川家治の時代で、田沼意次が新田の開発、長崎貿易の制限緩和など改革をすすめていたころである。
 第一幕で「妙なる調和」をカヴァラドッシ、「ゆけ!トスカ」をスカルピアがそれぞれ歌う。第二幕。「歌に生き恋に生き」トスカ。第三幕。「星は光りぬ」カヴァラドッシ。ケンアマドは歌い、所作をし、筋を語る。ケンアマドの声はいつ聞いても素晴らしい。声量豊かだし、こころよく胸にひびく。「私の望みは反逆者の首よりもおまえだ。トスカは私の胸の中で官能の喜びに溺れ、もう一人は絞首台に!」(「ゆけ!トスカ」より)。
 下心のあるスカルピアはトスカの願いを聞き入れた振りして、政治犯をかくまった恋敵のカヴァラドッシを銃殺刑にしてしまう。歌に生き恋に生きるトスカが歌う「この苦しい時に主は救いの手を差し伸べてくれないのでしょう」の嘆きに観客は思わず肩をゆする。「今、私の夢は永遠に消え去り、絶望の中で死んでゆく。あぁ!今ほど自分の命を惜しいと思ったことはない」(「星は光りぬ」より)カヴァラドッシのテノールはサンタンジョロ城一杯に響く。この城は歴代ローマ皇帝の墓であり、時には牢獄ともなった。
 1900年ローマで「トスカ」が初演されてから102年後に、まさか「一人オペラ」が日本で上演されるとはプッチーニ(1852年―1924年)も夢にも思わなかったことであろう。ケンアマドの意欲的な試みに拍手を送りたい。

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