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臓器移植法、施行1年に思う
牧念人 悠々
「臓器移植法」は、医師たちの間からいささか皮肉をこめて「臓器移植禁止法」と呼ばれている。無理もない。施行されてから 10月16日で1年たったというのに、脳死と判定された人からの臓器移植はいまだに1例もないのだから。当分、移植ゼロの状態がつづきそうである。アメリカで肝臓医といえば、肝臓移植する医者を指す。しかも、毎日のように、手術をするといわれる。 アメリカと日本では、何故こうも事情が違うのか。それは臓器提供の条件が日本ではきびしいし、提供の意志を持つ人が極端に少ないからである。また家族の理解もえられないからでもある。 臓器提供には、本人の意思の明示、家族の承諾、指定された提供病院( 384施設と限られる)の脳死の判定、提供者が感染症やガンにかかっておらず、臓器が健全であることなどの条件がつけられている。一応、もっともな条件のように見受けられる。この1年、現実はどうだったのか調べてみる。この 1年間、本人の意思を表示するドナーカードを持っている人で死亡した者は32名である。このうち脳死を経て死亡した人はたった3人だけであった。(毎日新聞10月16日付)臓器を提供できるのは、厚生省が指定する大学病院などの施設に限られるが、ここで脳死になったのは 2人、死因は脳出血とくも幕下出血によるものであった。2人のうち1人は、家族が臓器提供を心臓停止後までまつよう望んだため、脳死段階での移植はできなかった。あと1人は心臓移植を希望した患者であった。年間に臓器を提供できる脳死ドナーがたった 2人とあっては、脳死移植手術は夢のまた夢である。現実には肉親からの生体臓器(組織)移植をせざるをえないのである。(10月28日岡山医大での生体肺移植手術)日本移植学会の試算では 300万人が臓器提供意思を表示すれば、年間10人の脳死ドナーが発生するという。とすれば、ドナーカード所持者を増やすほかない。すでに 2370万枚のカードが地方自治体や郵便局に配置されている、残念ながらまだ十分に周知徹底されているとはいえないようである。最近、三楽病院・院長河野信博さんの著書「肝臓外科医のつれづれ草」(非売品、平成 6年4月発刊)を読む機会があった。その本の中に次のような個所がある。――以前、米国の私の勤めていた病院に肝臓移植を待っている重篤な肝疾患の患者がいた。回診の折の会話の一節。 「先生、私の手術はいつ頃になりますか」 「多分来週、真新しい肝臓をあげられると思います」 「サンキュー、ドクター」 当時(註 1968年)はかん臓移植の手術はもとより、その成績も比較的不安定で医療側にも患者側にも不安な要素は沢山あったが、患者の医師を信頼し尊敬しきったあの澄んだ瞳は印象的であった――著者はアメリカでは、医者は患者から信頼され、尊敬されている例として回診の模様を書いたわけである。世界ではじめて肝移植が行われたのは、 1963年で、この時点では5年しかたっていない。それでも、患者は安心して医師に身をまかしている。それにひきかえ日本では遅々たる状況である。その背景には臓器移植に対する国民性の違い、国民感情といったものがあるように思う。つまり、「臓器移植法」に魂を入れるのは、国民だということである。
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