1998年(平成10年)11月1日(旬刊)

No.56

銀座一丁目新聞

 

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“針の穴から世界をのぞく(2)”

 ユージン・リッジウッド

戦争と平和の錯誤―アメリカ版

 [ニューヨーク発]アメリカ議会は101日に始まった新年度の予算を年度入り3週間を経てようやく可決した。だが上下両院の多数派である共和党が人権と独裁者追放を掲げて推進した二つの予算措置が、「超大国の度量はどこに?」と多くの心ある人々に眉をひそめさせている。

 共和党は予算の採択にあたり、クリントン政権が求めた国連に対する約10億ドルの滞納分担金の支払いを認める代わりに、「人工中絶を容認している国を援助する国際機関には米国の資金は一切使わせない」という付帯条項をつけた。これは一夫婦一人っ子を奨励する中国や家族計画が十分でない多くの開発途上国での国連の活動を全面的に拒否するものである。

 この国連に対する条件付き滞納金支払いを認める議会決定に対して、クリントン大統領は予算執行を拒否するいわゆる大統領拒否権を直ちに発動した。国連への滞納金の清算はクリントン大統領自身が強力に要求してきた政策である。だが偏狭な保守派にリードされた共和党の中絶拒否症に対してもノーを選んだ。これにより国連の年間予算のほぼ半分にあたる滞納金の清算は頓挫、国連は重大な財政危機にさらされたままとなる。

 国連はもともとアメリカのイニシアティブで生まれた機関。しかしアメリカの国連軽視は時にして常軌を逸する。大戦後の東西冷戦、反“アメリカ帝国主義”を唱えるアフリカ新興国の相次ぐ独立、ベトナム戦争に対する国連の非難などなどが重なり、国連の場で威信とリーダーシップの衰えを見せ続けられたアメリカは、1970年代から国連離れを加速、1980年代レーガン政権の誕生と共に徹底的に国連を軽視するようになった。なかでも中国における一人っ子政策が人権を振り回す保守派の反感を買い、1986年アメリカはそれまでの最大の拠出国としての威信を捨てて人口活動に取り組む国連人口基金への拠出を全面的に停止した。同時にレーガン、ブッシュの共和党政権時代には平和維持活動費や分担金の滞納による国連いびりを日常化させた。国連への積極支援を打ち出したクリントン大統領が誕生して人口活動のための拠出は復活されたものの、議会多数派の共和党による国連いびりは続き、滞納金は増える一方だった。

 今回議会がついに滞納金支払いを認めるにいたったのは、滞納金が2年分の分担金相当額を越し、国連憲章の規定に基づき、来年早々総会における投票権喪失という主要国としては未曾有の事態を迎えることになったからである。ところが共和党は、この滞納金清算に問題の付帯条項をつけたのだ。そればかりか、日本の拠出の半分にも満たない国連人口基金に対する2千万ドルの予算も再び全額削除してしまった。

 家族計画とその教育が行き渡らないが故に中絶が必要となるのであり、家族計画を求める人にその手段を提供することによって中絶は減り、母子の健康が確保され、かつ強制的な人口増加抑制政策の回避にもつながるのだと国連は訴えてきた。ちなみにアメリカの2千万ドルの拠出拒否の影響は、国連人口基金が実績からはじいたところによると、妊産婦の死亡1200、出生児の死亡22500、不本意な妊娠50万、その結果のやむを得ぬ中絶20万、やむを得ぬ出産23400。人権を叫ぶ政治家が選択した非人道的結果である。

 国際平和活動のシンボルとしての国連支援がないがしろにされる一方で、心あるアメリカ人たちが首をかしげるもう一つの異様な予算も今回の議会で決められた。イラクのサダム・フセイン政権を武力で転覆させるために1億ドル近い支援をすることになったのである。イランに戦争を仕掛け、クウエートに侵攻し、北部のクルド族を弾圧し、かつ核兵器、毒ガス兵器の開発を捨て切れないサダム・フセインが、この20年間世界の平和にとっての脅威であったことは間違いない。しかし今回通した予算は、亡命中のイラク国民議会指導者や少数民族クルド人などの反サダム勢力に資金を提供して反政府軍を組織、サダムを打倒しようするものである。

 共和党指導者たちが明らかにしているところによると、政府軍の手薄な地域をまず反乱軍が占拠する、それにより政府軍兵士の中に動揺を起こし、政府軍からの脱走、反乱軍への参加を促進、その結果弱体化した政府軍を一気に武力制覇してフセインの首を取ろうという相当に乱暴な作戦である。果たして悪代官を打倒して民衆に平和をもたらすことになるか、あるいは何百万もの民衆を巻き添えにした血みどろの内戦になるか。アメリカは1961年亡命キューバ人によるカストロ打倒のキューバ侵攻作戦を支援して大失敗した。この苦い経験からクリントン政権中枢にはサダム打倒予算の議会決定に頭を抱える人も少なくない。

 人工中絶憎しで国連の活動には手かせ足かせ、サダム憎しで武力反乱を公然と支援。政治の世界で無理が道理を押しのけるのは珍しくはないが、それにしても超大国アメリカの議会は戦争と平和の錯誤に陥っていると言えるのではないか。

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