1998年(平成10年)11月1日(旬刊)

No.56

銀座一丁目新聞

 

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小さな個人美術館の旅(52)

笠間日動美術館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 上野から常磐線の特急列車で一時間余り。牛久、土浦を過ぎ、列車がやがて石岡にかかろうとする頃から車窓左手に筑波山が見えてくる。季節はずれの台風が近づいていて、大きな空いっぱいに雲が浮かび、ゆるやかに裾野を広げる山はうっすらと青くかすんでいた。見渡せば稲はすっかり刈り取られ、せいたかあわだち草が濃い黄色の花を風になびかせているばかり。蓮の葉が化石のように黒く立ち枯れているあたりは、沼地だろうか。友部で水戸線に乗り換えると、二つ目が笠間である。日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷で知られる町というが、駅前は拍子抜けするくらいしんと静まりかえっている。

 笠間日動は、東京銀座の三百とも五百ともいわれる画廊のなかでも最も古い日動画廊の先代社長・長谷川仁氏が故郷に建てた美術館である。1972年、笠間藩の藩医だった長谷川家累代の邸内に開館、その後次々と施設を拡充し、89年、本格的にスタートした。

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笠間日動美術館

 門を入ると、まず右手に白亜の鉄筋五階建て「日本館」、左手に「フランス館」。その間の小径はすぐに手入れの行き届いた回遊式の美しい彫刻庭園を上ってゆく。庭を抜け、もうそう竹の林の中をせせらぎの音を聞きながら更に進むと、小さな渓にかかる橋の突き当たりが「企画館」だ。そこで開かれている「佐伯祐三展」を見るために私ははるばるやって来たのだった。

 この美術館では「アメリカ・日本館」「フランス館」での常設展のほかにこの「企画館」で年間八、九本の企画展をやっている。今回の佐伯祐三展は大阪を皮切りに全国五会場で行われた大規模な回顧展の棹尾を飾るもので、生誕百年を記念する大展覧会であった。

 回顧展といっても、佐伯の生涯は三十年と四ヶ月たらず。画家としての活動はわずか五年にも満たないものだった。そんな短い生涯の間に四百点近い作品を残したのである。近代現代の日本洋画史のなかに、かつてこんな画家がいただろうか。戦災や火事で多くが失われたが、現在確認される作品は二百数十点。そのうちの百点による展観だという。

 それにしても、なんというすさまじいばかりの生の燃焼だろう。美校時代の自画像から、「ノートル・ダム(マント・ラ・ジョリ)」「リュクサンブール公園」「カフェ・レストラン」「郵便配達夫」などを経て、絶筆となった「黄色いレストラン」まで、一階、二階にそれぞれ二つずつある大きな展示室を行きつ戻りつしながら、私はその強い筆触から放射される気迫に息がつまった。この画家はパリという美しい町に閉じ込められ、迫り来る死の恐怖と闘いながら、ものすごい勢いで一日に何枚もの作品を描き、文字通り力尽きて倒れた。そのパリ風景が、絶望的な孤独感と生への意欲との対立、矛盾のなかでの自己確認であったとはよく言われることだ。「黄色いレストラン」について、米子夫人は書いている。

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   笠間日動美術館

 「フラフラする身体で外出したと思うと、やがて二十号の、黄と赤と黒の線でレストランの入口を描いて戻ってきました。そのタッチは、それまでの佐伯の作品の中で最も単純化されたものになっていましたが、それを投げ出すように床の上に倒れてしまいました。……佐伯の最後の筆でした」。

 「企画館」は、二階の二つの展示室をつなぐところに、外に向かって張り出した三角のガラス張りのスペースがあり、暗い竹林から斜めに射してくる光がちらちらと浅い流れを光らせていた。私は時折そこへ出ては外を眺め、また戻っては作品と向かい合った。

 佐伯祐三は1898年(明治三十一)生まれだ。父は四百年続いた大阪の名刹、光徳寺の十三代目の住職で、恵まれた環境のなかに育った。滞仏期間は、一年半の帰国をはさんで二度に分かれる。初めにパリに渡ったのは二十五歳、東京美術学校(現芸大)を卒業した年で、妻と一歳の娘を伴った旅立ちだったが、その三年前に彼は五十八歳の父を、翌年には二十歳の弟を、次いで親しかった兄のフィアンセを失っている。三年間のパリ生活を引き上げて一時帰国するのは、佐伯の身体を案じた母に呼び戻されてのことだったが、再び渡仏。後の目から見れば、それは明らかに死にに行ったようなものだった。半年後に喀血し、結核の病状悪化に加えて精神異常の兆候も現れてパリ郊外のエプラール精神病院に入院するが、その二カ月後に息をひきとったのである。そしてその二週間後には、愛娘弥智子も「パパ、パパ!」と叫んだ言葉を最後に六歳の幼い命をホテル・グラン・ゾンムで終えてしまった……。

 「このアカデミスム!」とヴラマンクに一喝されて「目からうろこが落ちた」のはパリ時代のはじめだった。佐伯はやがてゴッホにぶつかり、「自分の絵にまだ虚飾があることがわかった」と語り、「ぼくの絵は純粋か純粋でないか。ほんとうか、ほんとうでないか。それを言ってくれ」と口癖のように繰り返したという。

 佐伯の絵に釘づけになって長い時間を過ごし、企画館側の門(こちらが正門なのだろうか)を出ると、大粒の雨がパラパラと顔にあたった。いよいよ台風がやって来たらしい。バス停に向かって走りながら私は思った。今日ここで佐伯祐三を見たことを私は決して忘れないだろう、と。


住 所: 茨城県笠間市笠間978−4 TEL 0296−72−2160
交 通:

常磐線友部駅よりバス又はタクシー15分
水戸線笠間駅より市内循環バスで銀行前下車2分

休館日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)と展示が替え期間及び年末年始

星瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。旅行作家協会会員。著書に『桜楓の百人』など。

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