1998年(平成10年)11月1日(旬刊)

No.56

銀座一丁目新聞

 

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映画紹介

第11回国際女性映画週間上映作品(6)

アンダー・ザ・スキン

大竹 洋子

監督・脚本 カーリン・アドラー
撮 影 バリー・アクロイド
音 楽 イロナ・セカス
製 作 ケイト・オグボーン
配 給 ケイブル・ホーグ
出 演 サマンサ・モートン、クレア・ラッシュブルック、
リタ・トゥシンハムほか

1997年/イギリス映画/カラー/85分

 イギリスの下町リヴァプールに住むアイリスは19歳。少年のように短くかった髪と、ほっそりした肢体の持主である。アイリスは毎日をいらいらしながら暮らしている。ランジェリー・ショップの仕事はちっとも面白くないし、ボーイフレンドとの間もうまくいっていない。すでに結婚している姉のローズはおだやかな性格の持主で、目下妊娠中である。

 父は10年前に家を出ていった。何かにつけて神経をとがらせるアイリスだが、母と一緒にいるときだけは、幸せな気持になることができる。だが母は不治の病におかされ、近頃は意識も混濁してきた。

 やがて母が死んだ。アイリスの孤独はここにきわまる。葬式の花束を全部かかえて、アイリスは自分のアパートにもどった。それから母のかつらと毛皮を身につけて、アイリスは町をうろつき始める。行きずりの男たちとセックスに耽って、アイリスは心の穴を埋めようとする。しかし叶えられるべくもない。姉だけが母から愛されていたのではないかという疑いも、アイリスを苛む。

 アイリスのめちゃめちゃな生活は、とどまるところがない。肩をいからせ、ポケットに手をつっこんで町を歩き、酒場に出没する。そこここの男たちに誘いをかけ、彼らから手痛い仕打ちをされたりもする。そんなアイリスをある夜、小学生の不良少女の一団が襲った。アイリスのバッグを奪って逃げる彼女たちに、アイリスは太刀打ちができない。

 可哀想にと、私はアイリスの痛々しさが身にしめて仕方がなかった。娘というものは、こんなにも母が恋しいのだろうか。母の骨つぼもアイリスは墓地から盗み出していた。部屋の電話が使えなくなって、公衆電話の前で立ちすくむアイリス、姉の鼻をあかそうと義兄を誘惑するが、たしなめられてまた夜の町をさまようアイリス、することなすことうまくゆかないアイリスの寂しさが、画面を占領する。

 監督のカーリン・アドラーは、国立映画テレビ学校で学び、短編やドキュメンタリーを手がけていたが、このデビュー作で大成功し、トロント映画祭批評家賞や、エディンバラ映画祭最優秀作品賞に輝いた。なかなかいいなあ、と私は映画をみながら何度も思った。何よりも少女の繊細さと、ひたむきさがよくあらわれている。

 町を彷徨する途中で、アイリスは歌声につられて教会に入ってゆく。中高年の男女が、ショパンの「別れの曲」の合唱練習をしている。しばらくして、アイリスはまた教会へ行った。今度はモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」である。自分も仲間に入りたいというアイリスを、指揮者の老女がこころよく受けいれ、発声練習をしてくれる。アイリスの歌は相当に下手である。

 しかし最後のシーン。ようやくもやもやをふっきったアイリスが、バーで歌っている。ギルバート・オサリバンのヒット曲「アローン・アゲイン」。また一人になったけれど、前をむいて生きてゆこう、と歌うアイリスを、初めはガヤガヤしていた客たちが、その真剣さにひかれて耳を傾けはじめるところで映画は終わる。

 いま、イギリス映画の評判が高い。しかしその大半は、男たちの結束をテーマにした男性主導型の映画である。そういう中で「アンダー・ザ・スキン」は、女性でなければ決してできなかった作品といえる。傷つきながらも、社会との関わりを通して成長してゆこうとするこのアイリスの物語を、私は支持するものである。

11月1日(日)6:30からシネセゾン渋谷(03−3770−1721)で上映

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