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民主党は参院選挙で過半数は取れない
牧念人 悠々
7月11日参議院選挙の結果が分かる。前回の茶説で民主党が圧勝すると書いた。ところが菅直人首相が消費税問題で迷走を始めた。支持率は10ポントほど急落した。どうも議席の過半数獲得は難しくなってきた。危機的な状況にある日本の財政状態から消費税のアップは一つの政策であると思うが国民の多くが増税を望んでいないようである(毎日新聞世論調査では反対50%)。
ここで首相が取るべき態度が二つある。一つは増税をすべきならその方針を貫くことである。もうひとつは増税をやらずに無駄を削減する等他の策をとることである。首相はこの問題から逃げ始めた。民主党のビラから「消費税」の表現が消えた。小沢一郎元幹事長は「選挙で4年間は値上げしないと言った。国民との約束はどんなことがあっても守るべきである」と批判する。
病に侵され2ヶ月の短命内閣に終わった石橋内閣の石橋湛山首相は「政権は国に尽くすためにある」として「自主外交」と「積極経済政策」を掲げた。また「国民の嫌がる政策もとる」と大衆迎合主義を排した。民主党政権はこれとまったく反対のことをしている。「政権」は自分たちの権力慾、名誉欲を満たすところではない。友愛を発揮したり市民運動の延長の仕事したりするところではない。「国に尽す」ところである。民主党政権には「日本の国」という概念がすっぽり消え失せている。普天間基地移設問題がその最たるものである。この問題は未解決のままであるのを忘れてはなるまい。民主党政権に日本を任せてよいのかという疑問がつきまとう。
さらに付けくわえたい。石橋湛山の生き方である。自由主義者の石橋湛山がGHQから戦時中、東洋経済新報ガ帝国主義を支持したとして公職追放された。その処分について「とうてい許されない」として反論する。石橋湛山は昭和19年2月、息子をケゼリン島で亡くす。米軍の機動部隊のためケゼリン、ルオット両島守備隊が玉砕したためである。翌年の2月、息子の追悼の会で石橋湛山は「私は兼ねて自由主義者であるために軍部及びその一味の者から迫害を受け、東洋経済新報も常に風前の灯のごとき危険にさらされている。しかしその私が今や一人の愛児を軍隊に捧げて殺した、私は自由主義者であるが、国家に対する反逆者ではないからである」と述べた。湛山も息子も戦争には反対であった。だからといって入隊しなければ二人とも刑罰を食らい、殺されるであろう。私がそこまで頑張らなければ私を戦争支持者とみなさいのだろうかと疑問を呈し「東洋経済新報社に対して帝国主義を支持した等と判決を下されるのはまさにそれと同じことである」と主張した(半藤一利著「戦う石橋湛山」中公文庫より)。官直人首相の感想を聞きたい。
増税する前に徹底した冗費の削減をせよの声が根強い。ここで元大蔵官僚の庭山慶一郎さんの「増税なき財政再建論」を紹介したい(2009年3月1日号『茶説』参照)。庭山さんは昭和55年にこの主張をしたというから30年前の話で、示唆に富む。増税は最後の手段だという。国会議員以下の国家公務員の定数の削減、許認可事務の減少、役所の予算の作り方と使い方の見直しなどを実施する。さらに敗戦前後国民は自分の財産を売って生活したように、今度は国の番だ。霞が関には大きな土地と立派な各省庁の庁舎がある。これを売って役所は借家人になればよいというのである。よほどの覚悟がなければできない。首相に強いリーダーシップが求められる。いずれにしても国民の審判が下る。
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