2010年(平成22年)7月1日号

No.472

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花ある風景(387)

並木 徹

 荒木盛雄君のエルミタージュ訪問記

 
 友人の医者、荒木盛雄君からロシア・サンクトペテルベルク訪問記を見せていただいた。その克明な報告と共に仲間たち(松和会海外研修旅行)とささやかながらも日本文化を外国に伝えようとする努力に頭が下がる。今回が12回目。参加者は12名であった(期間は3月19日から3月26日)。

 荒木君らは旅行2日目エルミタージュ美術館を訪れる。

「雪淡きペテルブルクや青白し」  紫微

「絵ガラスの青き春光美術館」   同

 「エルミタージュは現在国立美術館となり世界遺産となっている。連日世界中から観光客が訪れ、その数は年間三百七十万人を超えるという。収蔵品は三百万点を越え、展示されているのは全体の4%にすぎない。その圧倒的な量の絵画や美術品はエカテリーナ2世のコレクションガもとになっている。しかしピョートル大帝の新都建設に始まり歴代の事業の継続と革命や戦禍による破壊の後の地道で困難な修復作業等様々な人々の歩みがあって現在に至っていることが見逃せない」

「黄金の春雨を待つダナエの手」  紫微

「聖母子の子は春光に包まれて」   同

 レンブラントの「ダナエ」(1636)はエルミタージュの至宝の一つ。ここにレンブラント(1606−1669)のコレクションが22枚もある。レンブラントはオランダのライデンで製粉業を営む父と裕福なパン屋の娘だった母の末っ子として生まれる。絵の才能があり、先輩画家に師事して頭角を現す。聖書から取った宗教的な題材と人物画を得意とした。この絵の題材はギリシャ神話からとっている。荒木君は解説する。「ギリシャのアルゴス王アクリシオスは、美しい娘ダナエガ孫に殺されるとの神託を信じてダナエを地下に投じた。ゼウスは黄金の雨となって天窓より進入し、彼女と交わり英雄ペルセウスが生まれたという。雲の上に乗るゼウスガ、画面右上から光となって射し込み、ダナエが右手を挙げて迎えているようだ」。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452−1519)の絵は現在世界に12枚しか残っていないといわれる。そのうちの2枚がここにある。ひとつがレオナルド26歳の作品「ブヌワの聖母」(1478)。花を持つ聖母とも言われる。イエスを大人ぽっく描き、聖母マリアを少女のように初々しく聖母子を肉感的に描き出したという。もうひとつが「リッタの聖母」(1490−1491代)である。ミラノ公爵リッタから入手したもので至宝中の至宝といわれる。

 この夜、荒木君らマリインスキー劇場でブッチーニのオペラ「トスカ」を観劇する。ブッチーニの最大の傑作である。異郷で聞くアリア「妙なる調和」「歌に生き愛に生き」は花の心を知る一行には胸に響いたに違いない。

 驚いたのは3日目の「花道茶道ワークショップ」開会式でのルィービン露日友好協会長の挨拶である。流暢な日本語で素性法師の歌「あらたまの年たちかえるあしたより 待たるるものは鶯の声」をまじえての挨拶であったという。古歌に寄せて芸術をめでる声、平和の声を聞きたいと話をされたのは見事と言うほかない。素性法師は生没年月日不詳で清和天皇(858−876)のころ左近将監であった。父の命で出家する。36歌仙の一人。百人一首に「今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」がある。会の終わりに荒木君がこれまた流暢なロシア語で御礼の言葉を述べたという。

「春愁やクレムリン観ず帰国の途」  紫微

「上弦の月や朧の露都更ける」    同

 日露の草根の文化交流ガ息長く続くことを祈ってやまない。