2010年(平成22年)7月1日号

No.472

銀座一丁目新聞

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山と私

(64)
国分 リン

――第21回八王子八峰登山大会のサポートをして――

 健康維持のため最近中高年世代にウオーキング大会が人気ですが、八王子八峰登山大会実行委員会主催で、毎年5月に開催され、今年で21回目を迎えた。コースは健脚向きの今熊バス停〜今熊山〜刈寄山〜市道山〜醍醐丸〜陣馬山〜影信山〜小仏城山〜高尾山〜京王高尾山口32.5Kmを約10時間、前半コースの19.3 Kmを約6時間、一般コースの18.5 Kmを約5時間の3コースで申込をする。前半コースはエスケープルートがありません。アップダウンが多く刈寄山から陣馬山間は道が結構険しい。決して競争ではないので無理をしないでください。と申込書に太字で記されていた。
 昨年5月8日(日)真夏日を記録した日、仲間の72歳のMさんをサポートするため陣馬山で3人が2時間半待ち、13時30分に到着され暑さに苦しそうな様子、水分を補給し皆で囲んで高尾山を目指した。相当お疲れで影信山へ到着したときには大会関係者がもう時間切れになるからと後片付けをし、とうとうMさんは諦め、ゆっくり下山した。Mさんはその前の年は完走され「踏破証」を貰っている。ご苦労さんの席で来年は若手に参加して頂きたいと託され、スポニチ講師の片平先生が参加申込をした。
 5月9日(日)爽やかな晴れ 「この大会に備え下見に2日間出かけたが一番肝心な市道山〜醍醐丸〜陣馬山をしなかった」と、後から聞いたが、11時から陣馬山でスポニチ1期生のS氏と昨年の仲間N氏、M氏と4人で待ち構え、11時20分に姿が見えたときはホッと安心し、さすがに早いなと思ったら、途中相当走ったらしい。お昼もそこそこに直ぐに出発、私たちは一緒に高尾までと思っていたが、「足手まといか、記録を考えたら一人の方が早くゴールが切れるよ」とNさんの言葉に納得、私達も昼食をそこそこに12時に陣馬山を出発。水色のタオルの参加者が続々前後を歩き、私達は道を譲りながらそれでも早足と、全て巻き道を通り、片平先生を追うがとても追いつかず、高尾山に辿り着いた14時半に、「ゴールを切ったよ」の電話にやはり記録を狙っていたのを知った。私達は一刻も早く京王高尾山口に着くためにケーブルで下山し16時に駅到着。普通コースタイムを全部プラスすると13時間を7時間で歩けるなんてさすがに片平先生、トレーニングの賜物でしょうか。「どこが一番きつかったですか?」「高尾山の1号路の舗装道路が嫌だったね」さすが山屋さん、土には強いが舗装路に弱いらしい。「来年も挑戦するの?」「一回で勘弁して」「踏破証」を皆に見せて、楽しくわいわいと「泡でカンパーイ」何にも変えられない美味しさだった。
 健脚コースの参加者 882名、前半コースの参加者115名、一般コースの参加者448名の計1445名と発表され、天気が良いので私達のようなサポート組や家族連れが多く高尾山に近づくにつれて賑わっていた。八峰の最高点は醍醐丸山頂867mこの名前が気になり調べる。伝説による醍醐丸の由来は平将門と上恩方の旧家・草木家の娘が恋に落ち、生まれた男子に醍醐丸と名をつけ、940年平将門は朝廷軍に破れ、波乱の生涯を閉じ、醍醐丸も小さい命を絶ちました。里の者は2人の死を悼み、八王子で一番高い恩方の奥の峰に「醍醐丸」と名付け、現在に至っているそうです。山の名前を調べると民話や伝説が必ずあり、面白いことが分かり、これから一つのテーマにしようと思う。