2009年(平成21年)11月20日号

No.450

銀座一丁目新聞

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花ある風景(365)

並木 徹

戦死した海軍年少兵の勲をたたえよ

 
 東京・清瀬市に住む井上理二さん(82)が自分の半生を描いた「特攻くずれ―ある海軍少年兵の昭和史」(元就出版社)を出したのを新聞で知った(11月10日毎日新聞夕刊)。井上さんは海軍特別年少兵制度の1期生。昭和20年4月、駆逐艦「磯風」に乗船、戦艦「大和」とともに沖縄特攻作戦に参加、九州沖で米軍の猛攻撃を受けて「磯風」は大破、航行不能になって井上さんら生存者を別の船に移して「磯風」は爆破されて海に沈んだ。17歳の同期生たちの多くが戦死した。
 昭和17年6月のミッドウェー海戦では多くの少年兵が戦死している。15歳が4名、16歳が10名、17歳が59名を数える。澤地久枝さんはその著書「滄海よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死」(毎日新聞刊、昭和60年3月30日発行)の(巻6)で少年兵の戦死の模様を描いている。「成育しきっていない15歳の少年たちの戦死には、あの海戦の見すえるべき実相があるだろう。いくさの修羅場はあったが、戦と言うには余りにも粗末、あまりにも拙劣な対応な中で、少年たちはむざむざと死んでいった」と書く。それから24年もたつ.映画監督、今井正は映画「海軍特別年少兵」を昭和47年に制作している。映画では硫黄島で玉砕した海軍部隊の中にいた海軍特別年少兵三千八百名の海兵団入隊から過酷な訓練、少年たちの心の揺れを捉え、少年たちが祖国のためと信じ疑うこともなくまた疑うことも許されずに死んでいったことが描かれている。今井正監督が「愛国心とは何か」と世に問いかけた野心作であった。
 「銀座一丁目新聞」は今年の7月10日号で東京・原宿にある「海軍特年兵之碑」を取り上げ、海軍年少兵への思いをつづった。この碑面に香淳皇后様の歌が刻まれている「やすらかに ねむれとぞ思う 君のため いのちささげる ますらおのとも」とある。
 海軍年少兵の存在は知る人ぞ知る。戦後の日本は戦争中、国のために戦い武勲を立てあるいは国のために身を呈して死んでいった人々の顕彰を忘れている。諸外国では戦死した軍人の顕彰を怠っていない。「戦後、その存在を闇に葬った」のは日本人自身である。