2009年(平成21年)8月20日号

No.441

銀座一丁目新聞

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山と私

(56)
国分 リン

――やっと晴れた「唐松岳・五竜岳」――

 五竜山荘は天候不順のせいで、静かな朝を迎えた。雨は止んだようだ。窓から外をみると朝日が差しているではないか。急ぎ朝食とお湯を準備して山荘をでると、そこは一面雲海の上に顔を出している富士やアルプスの峰々と、朝日に輝く大きな五竜岳、思わず「やったね。晴れて良かったね。」友と感激で抱きあった。山荘から1時間の行程で頂上を目指した。岩ゴロの登山道、両手を使い一歩一歩慎重に、鎖場も数箇所あり、とにかくゆっくり慎重に最後の大きな岩をよじ登って水平に歩くと「五竜山頂」(2814m)到着。夢中で360度の展望を楽しむ。鹿島槍から立山3山・今年大ヒット映画の剣岳の長次郎谷が雪をかぶりよく見え、映画の1シーンを思い出す。三脚を構えて大きなカメラの撮影者達が、朝日の昇る前から頂上に陣取り撮影する姿に圧倒された。友は記念撮影や、携帯で撮影してはメール送信して喜んでいる。刻一刻と変化する様子を眺めながら、コーヒーを入れパンと巻き鮨の朝食は至福の時である。気付くと1時間ほど経ち、朝日はすっかり順光線に替わり、周りは霧が立ち込めてきて唐松の稜線も消してしまい、五竜山荘へ戻った。
 夏休みに、昨年燕岳から常念岳を案内して喜んだ友を、今年は悩んだ末に、スポニチ登山学校で5月に3度登っている唐松・五竜の夏山へ決めた。リーダーとして心配なくこの行程はといえば、いつも講師陣に頼りきりである。でも夏道ならば大丈夫かとスポニチ登山学校の片平講師に質問し、「霧で方向が分からないときは無理をしないこと、これを守れば大丈夫。」後押しされて出発した。
 8月1日 長野オリンピックで道路が整備され安曇野へは特急あずさで行くより新幹線で長野からバスが時間短縮になると知り利用した。八方スキー場からゴンドラとリフトを2本乗り継ぎ八方池山荘(1850m)へ着いた。大勢の観光客で溢れていた。ここから1時間ほどで八方池までのハイキングコースになっている。曇り空の何も眺望の無い道を行列で歩く。目印のケルンを過ぎ八方池に到着、池の周りを散策している人が見えた。生憎の天候で池に移る白馬岳の姿も見えず残念である。ここからは本格的な装備をしてない人は入山禁止とあった。前後に登山者のグループがいて、安心して登りだす。樹林帯に入ると始めてみるような岳樺の大木が不思議な形で数本あり目を見張る。やはり撮影者がいた。濡れる雨に1歩ずつゆっくりと登り、ふと赤い屋根が見え14時40分唐松岳頂上山荘(2620m)へ到着した。新しい木の香のする小屋は追加料金を取られた。でも気持ちが良い部屋であった。雨で登山者が少ないようで8人用の部屋を2人は幸せであった。16時頃になると日が差し、唐松岳や五竜岳が大きな姿を現した。小屋から20分の唐松頂上を目指した。コマクサやイワキキョウ、ヨツバシオガマが露に濡れ、風に揺れていた。唐松岳頂上(2696m)到着。夕暮れの中、剣や白馬槍や五竜は霧が少しずつ晴れ、とうとう姿を現し、感激でしばらくその場に佇んだ。
 8月2日 昨夕、青空と夕焼けを見たが見事に裏切られ、朝から雨、五竜山荘まで岩場と鎖場の連続でとても心配したが、友は私よりも大胆に慎重に難なく通り過ぎた。風は無く、小雨程度であった。10時には五竜山荘(2490m)へ到着した。宿泊組では一番乗りであった。午後雨が止んだら五竜岳に登ろうと話していたが、一向に止む気配が無かった。この雨でやはり10人部屋に2人で気兼ねなくお喋りをしたり歌ったりして、普段出来ないほどのんびりと過ごした。
 8月3日 晴れた!五竜岳を下山してくると赤いヘリが旋回していた。山小屋の消防訓練で飛んできたらしい。凄い風圧を受け救助の際は大変だろうと実感した。
 お礼を述べいよいよ下山、白岳から遠見尾根の道はシナノキンバイ・チングルマ・アオノツガザクラ・コバイケイソウ・ミヤマアズマギク・クルマユリ・ウサギギク等のお花畑が続く。生憎ガスに覆われ鹿島槍や周囲の山々は姿を現さなかった。中遠見の笹薮に雷鳥の姿を4羽見つけた。しばらくカメラタイム。出会えて嬉しかった。
 地蔵の頭に着くとこの辺はハイキングコースになっていて、観光客が大勢散策していた。スキー場をお花畑にしてシモツケのピンク色で染まっていた。テレキャビン乗り場に到着。ホッとした。今回は天気に恵まれず、どうなることかと心配したが最終日に晴れて五竜岳に登れて本当に良かった。友の満足した笑顔に、来年も共に健康で北アルプスに登れるようにしようと誓った。