安全地帯(236)
−信濃 太郎−
小泉八雲の古い日本の歌考
友人広瀬秀雄君から貴重な本があると小泉八雲の英文による日本の紹介の著書(LITTLE.BROWN,&CO,PUBLISHERS/BOSTON・1900)を貸していただいた。内容は「珍籍叢書」(6編の物語)「日本研究」(3編の小論)「夢想」(7編の物語)である(「小泉八雲作品集」第9巻平井呈一訳・恒文社より)。表紙に「SHADOWINGS」とある。つまり英語学習書である。私は毎日英語の単語をひとつづつ覚えようと辞書を見ているがすぐ忘れてしまう。英語は若いうちに勉強するものだと思う。
「日本研究」の中で「日本の古い歌謡」が面白く感じた。八雲の所へ正月元日に若い俳人から二つの贈り物が送られてきた。その中に珍しい出典から集めた、日本の歌謡集の面白い草稿があった。それによると思想や、感情やその表出は極めて単純だけれども、返し(反復)と、間(休止)の原始的
工夫によって非常に見事な効果をあげているという。八雲がとくに記すべき価値があると感銘したものは第一節の三行目に出てくる句が、一種の畳句(折り返し句)で切られて、それがまた、その次の節で繰り返されて、終わっている技法である。
「かのゆくは」(11世紀のものらしい)
かのゆくは/雁か くぐひか/雁ならば(返し)はれや、とうとう/はれや、とうとう
雁ならば/名告りぞせまし/なほ くぐひなりや(返し)とうとう
「びんだたら」(12世紀の頃の作と思われる)
びんだたらを/あゆがせばこそ/あゆがせばこそ/愛敬づいたれ/やれこ とうとう
/やれこ とうとう
そういえば日本の歌謡曲は歌詞に繰り返しが少なくない。「大江戸出世小唄」(作詞・藤田まこと)には3行目から「しょんがいな」「風が吹く」「ままならぬ」「かまやせぬ」が2度繰り返される。「長崎の鐘」(作詞・サトウハチロウー)は4行目から「なぐさめ はげまし 長崎の ああ長崎の 鐘が鳴る」が繰り返される。 「ゴンドラの歌」(作詞・吉井勇)は3番ある歌の出だしがすべて「いのち短し 恋せよ乙女」で始まる。
つぎに地方の歌謡が紹介されている。
恋歌(越後の国)
花か 蝶々か/蝶々か花か/どんどん
来てはちらちら迷わせる/来てはちらちら迷わせる/たいちょかね/そうかね どんどん
恋歌(駿河国御殿場村)
花やよく聞け/性あるならば/人がふさぐに/なぜひらく
古い東京の歌
いやなお方のしんせつよりも/すいたお方の/むりがよい
「おどけ歌」(信濃の国)
あの山かげで/光るはなんじゃ/月か、星か、蛍の主か/月でもないが/姑のお婆の目が光る(合唱)目が光る
歌は口ずさめばよい。理屈を考えないほうがよい。
八雲は最後に源平盛衰記」からとったものと16世紀の「隆達節」の小歌集からとった歌で「古い日本の歌」を終える。
(一)12世紀末か13世紀初めの作
様も心も 変るかな
落つる涙は 滝の水
妙法蓮華の 池となり
弘誓の船に 棹さして
沈むわが身を 乗せたまへ
(二)16世紀の作 文禄年間
たれかふたたび花咲かん
ただ夢の間の
露の身に
ひたすらに味わうべし。歌の散策は時には声を出して歌うのをよしとする。
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