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時効・告白・損害賠償
牧念人 悠々
世の中には、本当に変てこな事がおきる。殺人強盗事件の時効がすぎたというので、ノコノコ名乗り出たのである。都内に住む 48歳の男性。妻と息子がいる由。そのまま黙っておればよいものと思うのだが、そうはならないものらしい。名乗り出たのは“良心の呵責”らしい。告白文によると毎年 7月(1978年7月、富士市で銀行員を友人と二人で殺害、集金バッグを奪う)の終りが近づくと、胃が痛くなり、恐怖で眠れなくなる。そしてその夜に彼に手を合わせ許しをこうたという。ここまではわかる。それにしても「 20年前の殺人の告白を本にしたい」と出版社に売りこんだ心境はいかがなものか。被害者の両親は健在で、公務員だった父親はすでに定年退職し、年金暮らし。一人息子を失った両親の気持を思えば、無神経のそしりをまねがれない。 人間はさまざまである。心の奥のドロドロした部分は容易にはわからない。罪を犯した人間を簡単に許す聖人はそう多くはあるまい。 「ドイツ炉辺ばなし集」(岩波文庫 ヘーベル作、木下康光編訳)を引用する。 ――フランス革命の初め、プロイセンの軽騎兵がシャンパーニュ地方のある男の家に押し入り、有り金全部と金目のものを手当たり次第に略奪したうえ、おろしたてのカバーをかけたきれいなふとんまで奪い、夫婦をひどい目に合わせた。 8歳の男の子が、せめてふとんだけは両親に返してあげてと、頼んだが、その子を突きのけた。その下の小さな女の子が外まで追いかけ、頼んだのに、逆に女の子を井戸に投げこんだ。歳月が流れ、男の子はフランス軍の軍曹となり、プロシャの軽騎兵だった男の住むナイセにやってきた。たまたま割り当てられた立派な婦人の家で、かって奪われたふとんカバーを発見したことから、元プロシャ兵士と思いがけなく再会した。 昔のことを思い出した元兵士は「お許しを」と言うのがやっとだった。心の中ではとても聞き届けてはもらえまいと思っていた。事件から 18年を経過していた。軍曹はこういった。「おまえが僕にしたひどい仕打ちは、僕が許してやろう。おまえが僕の両親をひどい目にあわせ、貧乏人にしたことは、両親が許して下さるであるう。井戸に投げこまれ、二度とそこから出てこなかった妹のことは、神様がお許し下さるように」 軍曹は軽騎兵にいささかの危害を加えることなく立ち去った――。 鈴木さんの両親は加害者二人を相手に 1億2000万円余の損害賠償を求めて民事訴訟をおこしたのだった。
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