1998年(平成10年)8月10日(旬刊)

No.48

銀座一丁目新聞

 

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ヒマラヤの虹(18)

峰森友人 作

 「佐竹さん、どうぞ落ち着いて下さい。ちょっと私も言い過ぎたかも知れません。お詫びに少し説明させていただきますわ」

 美保子はこう言って、ゆっくりと語り始めた。

 佐竹さんからの突然の電話を受けた時、実は百合が机を挟んですぐ前にいた、と美穂子は慶太の反応をうかがうような意味ありげな目付きで慶太を見た。

 これは百合に気付かれてはまずいと思って、百合に席をはずしてもらった。百合はしばらく前から、トリジャの個人的な問題やドルフェルディの調査の報告のためにカトマンズに来ていた。ともかく私は考えた。今百合に佐竹さんのことを知られるのはよくない。だからとりあえず佐竹さんにまず自分が会って、その上で考えようと思った。

 百合から佐竹さんのことはもちろん聞いている。だから電話をもらった時、すぐに用件は赤十字活動ではなく百合のことだと分かった。

 百合が私に接触してきたのは、トレッキングが終わって、佐竹さんがポカラを発ったすぐ後のこと。このフィッシュテール・ロッジからだった。百合の話しでは、トレッキングに出発する前の日、私がユニセフの人たちとの打ち合わせのためポカラの国連事務所へ行った時、百合は赤十字の車から私が下りてきたのを見たんだって。

 百合はトレッキング中、いろいろ考えた。そして下りてきた時は、JTSを辞める決心がついていた。私は、ただ一時の思いから無謀なことをしないようにと再考を促したわ。でも彼女の決心は固かった。ただ辞めるだけなら私はもちろん反対した。しかし百合は、半年か一年、途上国の人、特に女性の生活をじっくり見たいのだと言った。彼女の中には華やかなものより、地味なものを見つめる気概のようなものが、実は昔からあった。だから彼女は余りうだつの上がらない万年助手のような研究員と結婚することにもなったのだと思う。成功者よりどちらかと言うとそうでない人にひかれるようだ。百合は、女とは何か、苦しむことさえ許されていない途上国の女性を自分の目でしっかりと見てみたい、生活費や通訳の助手などの費用はすべて自分で責任を持つからボランティアのような形でプロジェクトの手伝いなりで、本格的に女性を見るチャンスを欲しいと言った。

 そこで私は百合に言ったの。あなたが本当に地をはう覚悟で途上国を見てみたいというなら、話しに乗れないこともないとね。まず給料は出せない。しかし今ぜひやりたい仕事がある。それはネパールの女性が置かれている状況について、具体例を豊富に使いながら、総合的な検討を加え、この女性たちの境遇を改善するために今後必要な対策、つまり具体的なプロジェクトをいくつか草案すること。各国の赤十字や援助機関からネパールの女性の地位向上に関する協力の申し出があれば、それを順次提案して検討してもらう。そういう援助を導き出すたたき台のプロジェクトをぜひ準備したいのだと。

 話しは決まった。百合は三日後ネパールを発って東京に戻った。そこで退職後の処理その他一切を弟に頼み、新しく旧姓でのパスポートを取り、カトマンズに戻ってくる途中バンコクで辞表を送った。これでJTS、それに大山という名前とも完全に決別した。

 ネパールに来てからは、早速調査に取り掛かってもらった。一人とってもいいアシスタントが見つかった。そう、トリジャ。二人がクルタクロワールを着て、並んで歩いている姿は本当にすばらしい。二人の知的な顔と伸びやかな容姿、何かに打ち込む情熱、この人たちが心の中では深く傷ついているなんて、やっぱり世の中というか、人間にはみんなそれぞれに外見だけでは分からない複雑な事情があるのね。

 いずれにしろ今百合の調査はもうほぼ終わった。あと少しまとめが残っているだけ。百合がこんなに耐えられるとは、想像も出来なかった。食べ物、洗濯、住む家、日常的なトイレの問題とかシャワーのこと、そしてテレビもなければ、話し合う友達もいない。考えてもごらんなさい。電気もない所で、既にほぼ八ヵ月ですよ。それだけでも大変なのに、百合はかなり積極的に農家に入り込んで、若い娘たちにいろいろ教えたりしたようね。

 彼女の脇腹というか右腕の付け根の下に大きな傷痕があるの。これもその苦労の証拠の一つ。まあ、どんな苦労をしたか、それを百合から直接聞き出すのが元新聞記者の佐竹さんの腕ね。

 さて百合は今どこにいるってききたいんでしょ?それだけは私の口からは言えません。だってもし今百合が佐竹さんに会いたくない心境だったら、どうします?私は今はそうではないのではないかと思わないでもない。でもひょっとしたら、そうかも知れない、でしょ?

 私がこの二、三日の佐竹さんのことを知っているのはなぜか、知りたい?もちろん心の中の無線なんて、そんな非科学的なものがあるはずがないわ。佐竹さんからの電話の翌日、つまりおとといね、百合と車でポカラに来たの。トリジャを休ませているから、一人メッセンジャーの青年を探して、百合が村回りの間に洗濯や調査のまとめのときに使っている村まで送ってもらった。そして私はユニセフなどとの仕事を片付け、昨日の午後国連事務所でマデュカールに会った。マデュカールのことはもちろん百合から聞いていた。彼は躊躇した。しかし佐竹さんには叱られるかも知れないが、同時にもし私の協力取り付けにつながるなら許してもらえるだろうと観念して、何と、佐竹さんがドルフェルディのボランティアに会いに行ったと言うじゃないの。

 さすがは新聞記者、いや元記者ですね。すぐ現場に行く。実は私の叔父が昔気質の記者だったの。現場にきけっとはよく言ったもんだねって、母に会いに来て自慢話をする時はいつも言っていた。何度も来た現場に改めて来ると、また何か新しいヒントが得られるんですって。 mukuge.jpg (10532 バイト)

 ともかくマデュカールの話しでは、佐竹さんはドルフェルディから下りてきた翌日、また赤十字事務所に行ったと言うでしょ。だから今度は私がマヘシュに佐竹さんのことを聞きに行った。今日の午後。そしたらゴルカのトリジャに会いに行ったという。ああ、やっぱりと思った。とにかくすぐ会いに行く。覚えておられますか。佐竹さんは私への電話で、カトマンズにもすぐ来たいと言った。

 それでトリジャは本当にしっかりした子だから、普通は絶対に百合のことをしゃべることはない。でも百合の心を動かすぐらいだから、私はどうなるかなと思っていた。まあ私は九対一ぐらいで、トリジャの勝ちと見ていた。ところがどう。先ほどお会いしたら、大体全部分かっているって佐竹さんの顔に書いてあるじゃない。いいえ、それは顔の雰囲気とか、一人で先にビールを飲み始めるとか。そういう余裕がすべてを物語っているんですよ。私はただちに決心した。トリジャも落ちたのでは、もう無駄なこと、失礼なことは止めようとね。それで佐竹さんの行動について知っていることを先取りして、申し上げたのです。

 純情なんですね、佐竹さんも。あんなにびっくりなさって。自分ではいつもやってる情報収集法なのに、たまたま他人がやると驚く。新聞記者ってそうなのよ。攻めは滅法強いのに守りが弱い。実は叔父もそう。母は叔父に、あなたは自分のこととなるといつもぼろが出る、だめね人ねと、いつも言っていた。

 ところでトリジャ。実はあの子はエイズに感染しているかも知れないの。十一月末偶然に別れた夫がエイズで亡くなったことを知ってしまった。そして山に帰ってから、百合に打ち明けたの。きっと自分一人で苦しみを持ち続けられなかったのね。当然よね。夫婦だって常に確実に感染するわけではないんだけど、とにかく検査をしなければね。もし神様がいるなら、トリジャが陰性であるようにして欲しい。いやたとえ陽性でも、検査の間違いで陰性という誤りの判定をして欲しい。そうすればトリジャは悪夢を忘れて、発症するまで夢のある生き方が出来るじゃないですか。いつも私たちが教えていることに反するこんなことを口にしてはいけないのはよく分かっているけどね。でもネパールでは高価な発症遅延薬を常用するなんて出来ない。本当に神様っているの?って聞きたくなるわ。自分になんら過ちがないのに、罪のない娘が一生の苦しみを背負わされるなんて。

 でも問題はトリジャだけじゃないのよね。これが途上国の女の現実なの。無理矢理に結婚させられ、産みたくない子供を次々産まさせられ、子供を育てるために骨身を削って働いて、気がついたら人生が終わる時。さもなければ、若い女は唯一収入を得る手段の売春婦になって、たちまちエイズとか性病に。

 今百合の関心はここのところにあるのね。女も男と同じように、自分の意思と責任で自分の一生をつくれるように出来ないかということ。百合がえらいのはね、自分の問題を考えるのに、途上国の女性も含めた普遍的な目で見ようとしていることよ。ジャーナリストって、やっぱり他人の痛みを自分の痛みの感覚でとらえられるところがありますね。あるいは逆に自分の問題をもっと大きく眺めて見る。そこがエリート役人たちと違うところだわね。

 でも女の意思と責任の尊重。これは世界的にだんだん大きな力になってきているのよ。見てらっしゃい。こんなはずじゃなかったと男たちが思う時が必ず来るから。

 明日百合に会いに行くでしょう?百合をくじけさせるようなことだけはしないでね。百合はとっても強い。でもねその裏には詩人みたいな寂しいものを持っている人なの。それを癒されると逆に崩れてしまう。きっとあの子はいつまでも迷える子羊のまんまのような気がするな。それがまた佐竹さんのような人に、見過ごし出来ないようにさせるのよね。

 あ、私と百合との関係はね、ロンドンで始まったの。ロンドン大学大学院で国際関係を一緒に勉強したのが縁なの。百合は東京の大学を出たばっかり。私は銀行系の総合研究所の研究員。私はその後、ロンドンで一緒に勉強したノルウエー人がジュネーブの赤十字国際委員会に空席があるからって知らせてくれて、それでジュネーブで赤十字の仕事を始めた。ジュネーブに行ってからは、百合とはすっかりご無沙汰していたんだけど、たまたまポカラで見つかったって訳ね。

 私は明日早くカトマンズへ帰ります。どうぞ無事百合ちゃんを発見してあげて下さい。これは確認ですが、百合には佐竹さんが来ていることなど何も話していませんからね。もちろん明日尋ねて来るなんて、想像もしていませんから。もっともさっきも申し上げたように、佐竹さんの心の無線が高性能であれば、百合と交信できているかも知れない。その結果逆に百合がどこかへ逃げ出してしまっていても、私は知りませんよ。

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