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「GODZILLA(ゴジラ)」 大竹 洋子
1998年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/ドルビー/138分 「あいつとは別の怪獣だと思えば…」と佐藤忠男さんがいえば、「ゴジラが日本人になったように、GODZILLAはアメリカ人になれるか」と問いかけたのは、同じく映画評論家の林冬子さん。佐藤さんが親愛の情をこめていう”あいつ”とは、もちろん日本映画が生み出した最大キャラクター、ゴジラのことである。世界では唯一の被爆国日本で、原爆の落し子として1954年に登場以来、お子さま向けの怪獣だったゴジラは、やがて日本人の心のふるさとになり、しまいには天皇制との比較において論じられるまでになった。 その「ゴジラ」の製作会社東宝と何度も打ちあわせを重ね、生みの親であるプロデューサー、故田中友幸氏への献辞をラストに書き入れて完成したのがアメリカ版の「ゴジラ」、ローランド・エメリッヒ監督の「GODZILLA」である。日本のゴジラとは別物と思ってみれば楽しめる、という前述の佐藤、林両氏と同じように、私も大いに面白がってみた。 仏領ポリネシアの水爆実験の結果として出現した、新種の爬虫類GODZILLAが、海を渡ってニューヨークのマンハッタンにやってきた。身長80メートル、水陸自在、時速480キロ、ゴジラのようにすっくとは立たず、前かがみで敏捷、ビルとビルの谷間を走りぬけると、長い尻尾があたりの建物をなぎ倒す。あまり大きいので全貌が現れるのに時間がかかる。好物は魚である。 キーポイントは、雄だが無性生殖ということ。生まれた時からおなかの中に卵をもっている。多分20個以上はあるだろうから、もし産卵してしまったら大変なことになる。その前にやっつけてしまわなければということで、国をあげての戦術が展開される。だが時すでに遅かった。科学者たちがアジトを発見したとき、そこには200個もの卵が林立していたのである。そしてその一つ一つから、子どものGODZILLAが次々に顔をのぞかせる。 GOZILLAが産室として選んだのが、マディソン・スクエア・ガーデンの地下室だったというのがもう一つのポイントである。NBAニューヨーク・ニックスのメッカであるこのMSGが舞台となれば、NBAファンの私は俄然うれしくなる。追いかけてくるGodzillaジュニア群から逃げながら、テレビ局の男女が「あ、マイケル・ジョーダンのシャワー室だ」などという。(シカゴ・ブルズのジョーダンのシャワー室が、なぜMSGにあるのか疑問)ピンチになった二人が大量のバスケットボールを転がすと、ジュニアたちは足をとられてコロコロ引っくり返る。私はヘラヘラ笑ってしまった。 GODZILLAが何者かを解明した若き生物学者、特ダネをとってテレビのアンカーウーマンになりたい女性、カメラマン、そしてフランス政府の情報員、主な登場人物はこれだけである。どうしてフランス人が出てくるのかというと、フランスは核実験の思わぬ結果に責任をとろうとしているのである。情報員を演じるのはジャン・レノだが、なんとも仕様のない役で、よくカンヌ映画祭の閉幕作品になったものだと思う。 ローランド・エメリッヒの作品としては、前作の「インデペンデンス・デイ」よりはずっとよいだろう。「インデペンデンス…」はほとんどコミック映画で、第一、宇宙人をあんなに醜い姿にしては、宇宙人に対して失礼ではないか、もし彼らが映画をみたらどんなに怒るだろうかと、私は本気で心配したくらいだった。 結局GODZILLAは追いつめられ、ブルックリン橋の上で網にからまれて、空軍のロケット攻撃を浴びる。ここでカメラは初めてぐっと引き、悶えるGODZILLAの全容をとらえる。図体に似合わない弱々しい鳴き声と悲し気な表情に、観客の誰もが、かわいそうなGODZILLAと思ってしまうのだ。一方、MSGごと爆破され、全滅したはずのジュニア群だが、地下には卵が一つ残っていた。そして案の定、カラを破って新しい顔が現れるところでエンディングとなる。インド、パキスタン両国の核実験強行の脅威を、あらためて思う。 東宝系で全国公開中 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |