2008年(平成20年)8月20日号

No.405

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(321)

ノモンハン事件と東宗治大佐の戦死

 靖国神社の境内にある遊就館の第10展示室にはノモンハン事件で戦死した歩兵71連隊の東宗治大佐の遺影とともに軍帽、軍服が飾られてある。昭和14年8月30日満州国興安北省新巴爾虎左翼旗付近にて戦死とある。事績には「敬神崇祖の念が篤く,大楠公の『七生報国』の精神を自らの信念としていた。昭和14年ノモンハン事件勃発するや、歩兵71連隊の部隊長代理として緒戦より参加、陣頭指揮をとる傍ら部下が戦死すると、砲煙弾雨のなかでもその兵のそばにゆき宮城を拝し陛下にお詫び申し上げるその慈悲に満ちた姿に将兵は大佐を慕った。満州国興安北省にて圧倒的な敵を前に勅諭を奉読、万歳三唱の後塹壕より軍刀をかざして敵中深く切り込み戦死した」と記す。東大佐の部隊はどのような戦いをしたのであろうか。
 ソ連軍は8月20日よりジューコフ将軍指揮のもと、日本軍を包囲殲滅する計画で戦車、飛行機、重砲を出動させて大規模な攻勢に出た(5個機甲旅団・狙撃3個師団・騎兵2個師団)。戦車の燃料は発火しやすいガソリン用のエンジンではなく燃焼しにくいディーゼル油にきりかえた「テー32型超重戦車」であった。このため、サイダー瓶による肉迫攻撃も効果なく果敢に飛び出した兵士たちは次々になぎ倒された。8月23日には23師団(師団長小松原道太郎中将・陸士18期)は敵に包囲され壊滅的な打撃を受けた。ロシア軍事史公文書館の記録によれば「奪取した1939年8月23日14時付の第23師団小松原師団長の指令書によれば『主力師団は後方から敵の右翼を攻撃するため転進、これによって敵を左翼に深くおびき寄せ両翼と後方から敵に決定的打撃を与えよ』というものであった。上記の指令が実行不可能であることを認識するのはたやすい。指令は実行されなかった。われわれは、このサムライの戦術を嘲笑したものである。日本軍はこの反撃を予定していた日に完全に包囲され、次第に殲滅が明らかになってきた。日本軍司令部に先見の明があったなら、日本軍のかなりの部隊は。救うことができただろう」(鎌倉英也著「ノモンハン隠された戦争」・NHK出版より)。
 昭和14年5月11日に勃発したノモンハン事件に初めから参加していた歩兵64連隊もこの包囲網下全滅に近い打撃を受け、連隊長山県武光大佐(陸士26期)は軍旗を奉焼して自決する。第23師団に限った数字でいえばハルハ河戦争(ノモンハン事件)全期間を通じて出動した兵士の数は1万5975人このうち戦傷病者の数1万2230人損耗率76パーセントに達している(前掲の鎌倉の書)。
 1939年8月28日21時00分 モスクワ受信極秘電報によると「モンゴル人民共和国国境を侵犯した日本・満州国軍は第一集団軍とモンゴル人民共和国部隊によって、完全に包囲され殲滅されました。当地時間8月28日22時30分敵の最後の拠点“レミゾフ”が一掃されました。モンゴル人民共和国の国境は、ここにお完全に回復されました」とある(前掲鎌倉の書より)。
 ではソ連軍の被害はどれだけであったのか、前掲の鎌倉の書は三つの違った数字をあげる。@,5月から8月までの上級指揮官から一般兵士ごとの負傷者数とともに致命的な重傷を負ってその医療機関で死亡した兵士の数も記入されている。その合計は1万268人である。A、5月19日から8月30日までの戦闘におけるソビエト軍が蒙った損害は、戦死 2413人、負傷 1万020人、行方不明 810人、総損耗数 1万3243人、B、戦死 7974人、負傷 1万952人、全損失2万3926人。戦前、日本はノモンハン事件で壊滅的敗北を喫したといわれていたが、ソ連軍もまた多くの犠牲者を出したことがわかる。9月16日、やっと停戦協定が結ばれた。
 ノモンハン事件は事件ではなく国境をめぐって日本軍とソ連軍の間に行われた本格的な戦争であった。第1次と第2次とに分かれるが、ハルハ河付近のノモンハン、パルシャガル、ノロ高知などで壮絶な戦闘が展開された。著者の鎌倉英也は、「ノモンハン事件は太平洋戦争(私は大東亜戦争という)の序曲であった」といい、ノモンハン事件の取材を通じて達した考えは憲法の前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」であったという。サンクトペテルブルクの母親と同じく、著者に「でももし攻撃されたらどうするのですか? それでも戦いを放棄するのですか?」と私は問いたい。

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp